言葉の新陳代謝 〜他人の配偶者を何と呼ぶ?〜
私たち夫婦は、誰かにお互いのことを話す際には「夫」「妻」という言葉を使っている。
「主人、旦那」「奥さん、家内」という言葉が、私たちにとっては、主従関係や押しつけられた男女の在り方をイメージしてしまい何だかしっくりこないから、というのが理由。
ただ、これには不便というか不自由を感じる時があって、それは、
会話相手(他人)の配偶者をどう呼ぶかーーー、
というとき。
私の知りうる日本語では、こういう時にはやはり、「ご主人」や「奥さま」という言葉が一般的に便利で、仮に私たちの場合だと夫様?妻様?みたいな不自然な日本語になってしまうか、完全にニュートラルな表現がないのが実情だと思う。
なので、私はいつも「お連れ合い様は」とか「パートナーの方は」とか「相方さんは」など、なんとか「奥さま」や「ご主人」以外の表現を使おうとしてみる。
名前で呼び合っているご夫婦に関しては、私もちゃっかり「〇〇くん」「〇〇さん」と呼ばせていただく。
今のところ便利だと思うのは「パートナー」という言葉。
婚姻関係の有無やジェンダーすら超えてフィットする。
ただ、やはり相手によっては一瞬戸惑う方や聞き返されるとこもあり、私以外にもきっと「ご主人」や「奥さま」以外の表現がないことを不便に感じている人はいると思う。
それなのに、代わりになる新しい言葉が全く生まれてこないことに、私はなんだかモヤモヤする。
新しく言葉が生まれるということ。
例えば「イクメン」という言葉。
十数年前に誕生したこの言葉は、分かりやすさと前向きなメッセージ性から瞬く間に世に広がり、言葉は社会的なブームを作り人々の意識改革にもひと役かったと思う。
しかし、それからわずか数年後には、この「イクメン」という言葉が私たちに新たな問いを投げかけるようになった。
それは、この言葉にモヤモヤしていた人たちの違和感が声になったから。
男性女性どちらからも、
⚫︎男性の育児がもてはやされている感じにモヤモヤする。男性は「イクメン」なのに、女性はただ「お母さん」と呼ばれるのはナゼ。
⚫︎男性が育児をすることが特別視されている感じに違和感。当たり前に育児をしてる男性からすると抵抗のある言葉。
⚫︎社会構造や実情は置いてけぼりなのに、仕事と育児の両立を強いられる負担感のある言葉。
などなど様々な「モヤモヤ」に耳を傾けると、色々な立場の人の背景や、その人たちから見た世の中の景色まで見がえてくる。
何が言いたいかと言うと、
イクメンという言葉の好き嫌い、モヤモヤの有る無し、その理由への賛否はさておき、こういう言葉の新陳代謝や議論が湧き上がることを、私はとても楽しい事だと思う。
決して言葉狩りとかいう短絡的な判断ではなく、
新しい言葉や表現が生まれた時、受け手が色々な立場から色々な意見や感想を言える自由と、それを受けてさらに試行錯誤や隠れた課題を探究しようとする寛容な土壌があることは楽しい。
私が小学生のとき、
学校から配られた『父兄の皆さまへ』と書かれたプリントを見て、「ほとんどお母さんが来るのに何で父兄なんですか?」と先生に尋ねたことがある。
先生は「そういう違和感は大事にしたらいい」と言った。
そして私が親になった頃には「父兄」に代わって「保護者」という言葉が一般的な表現になっていた。
きっと当時の当事者だった人たちのモヤモヤが言葉を変えた。
言葉は流行やブームだけではなく、価値観や文化や社会のあり方まで変えることがある。
誰かにとって不便であったり不快な言葉は新しく生まれ変わればいい。
逆を言えば、言葉が変わらなければ、価値観や文化や社会のあり方が変わりにくい とも言える。
だから、この、いつまでたっても「ご主人」「奥さま」に代わる言葉が生まれてこない現状にモヤモヤする。
「ご主人」「奥さま」という言葉を頻繁に使う当事者ともいえる私たち世代が新しい言葉を生み出せないとすると、後進の若者たちに託すしかないのか。
次々と新しい言葉を生み出し楽しむ彼らの感性で「結婚した途端に主人とか草!しんどwww」とか言って、このぴえんな現状に打って変わる何かいい言葉を創りだしてくれないだろうか。知らんけど。
……なんて言っているだけなのは、やはり無責任な気がするので、私は今日も地道に「ご主人」「奥さま」以外の表現を使い続ける。
「夫さん」「妻さん」「パートナー」あたりが、もっと堂々と市民権を得られるようになるまで。
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