それを、もういちどやるんだ。
noteの更新を1週間もあけてしまえば、書き出しからしてもうどうしていいかわからなくなってしまう。
「忙しい」なんて言葉はつかいたくない。でも、この1週間はなぜだか怒涛の日々で。間に祝日があったにもかかわらず、ヘタッてしまった。
そんなだから、noteもTwitterも後れをとっている。入りたいサークルが3つもある。購読したいマガジンがある。着々と更新される、読むべきnoteがある。みんなの関心を集めたnoteがある。書きたいお題がある。そう、やりたいことは、たくさんある。なのに、気持ちだけが先行して、頭も身体もうまく動いてくれないんだ。これじゃ何だかどうしても、下を向いてしまいそうになるよ。
ネガティブな出だしで申し訳ない。こんなことを思っていて、とくに「手書きnoteを書こう」の企画まとめを終えてから、悩んでいるのはほんとう。でもね、ただそれを伝えたくて書いているわけじゃない。この状況、今ぼくは、とても好意的に受けとめているんだ。
noteをはじめたころに戻れたんじゃないかな。
そう思っているから。
補足するけれど。
noteをはじめた当初は、1週間かけてやっとひとつの記事を投稿するなんていうことが当たり前にあった。「書く」ということの大変さを知った。少々高をくくっていたバチが当たった。noteの洗礼を受けた。こころがさっそく折れそうになった。でもそうしてやっと、ひとつの記事を投稿できた時の達成感、興奮、安堵。これって何と満ち足りた感覚なんだろう。あのときは、書けただけで大満足だった。「スキ」がつかないなんてべつに気にならない。だって、フォロワーさんなんかいないんだから。
それが、すこしずつ読んでくれる人が増え、書くスピードが徐々に上がり、ぼくがフォローする人も増えた。多くの人たちとの交流がはじまり、毎日更新にも挑戦するようになった。
誇りにしていいと思っている。自分なりに、この街にたいして真摯に向き合ってきたつもりだ。大切に思える人が増えて、ぼくのことも好きだと言ってくれる人もいる。そして今では、ここで出会った友だちが焙煎してくれた豆でコーヒーを淹れ、ここで出会った友だちがつくってくれた小冊子を読み、手書きのメッセージまでもらったりして。ここで出会った友だちの近況をこころ待ちにし、それを読んでは一喜一憂し、ここで出会った友だちの創った世界のすばらしさに感動し、嫉妬し、ここで出会った海外の友だちが1日をはじめたころに寝たりして、そうしてぼくは、24時間回りつづけるこの街のいち住人になった。
だからわかっている。この街の温かさ。いつも書けなくてもいい。ペースが上がらなくてもいい。いつもみんなの前に元気な顔を出していたいけれど、深く潜ることがあってもいい。大切なのは信頼だ。納得のいかないものを出しつづけるわけにはいかない。
考えがまとまらない。気負い過ぎているかもしれない。こんな状況、noteをはじめたころと同じ。と、いうことはだよ。書けたときのあの喜びを、また全身で味わうことができるじゃない。そして、当時とちがうこと。ぼくにはすでに、仲間がいる。待っていてくれる、友だちがいる。こんなにこころ強いこと、ほかにあるのかなぁ。
みんなの背中を見ることが増えた。そうじゃない。見える背中の、見ていたい背中の数が増えた。そしていつかはぼくも、だれかにとっての「見たい背中」になれることがあるかもしれない。
真っ暗な中を、とにかく自分の信じる方向に走ってみたら、あるとき光が見えた。
それを、もういちどやるんだ。そんな感覚を、もういちど味わうんだ。
手探りだったっていうだけで、真っ暗なんかじゃなかったっていうこともわかってるからね。
*
ひらやまさんの、この企画に参加させていただきました。
もやもやしていたもの、すこし吐きだすことができて楽になりました。
ありがとうございました。
日曜日、すこしお天気優れないようですが。
素敵な1日になることを願っています。
それでは、また。