36 立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
私の愛車はトヨタの軽自動車。
高速道路で窓を開けながら時速180kmでぶっ飛ばす。周りの景色なんて見えない。見るヒマもない。
エアコンが効かない時、叩いて直した。いよいよ風しか出なくなったのに、構わず走り続けた。
サービスエリアでパパっと食事とお手洗いを済ませ、また本線に戻る。
要領の悪いドライバーが増える土日は、無駄にブレーキを踏まされる。数km先で事故渋滞。それさえ抜ければ私のペース。すぐ先の未来なんて手に取るように分かるのに事故渋滞が抜けても一本道で追い抜けない。気づいたら右足はイライラの貧乏ゆすり。仕方なく周囲のペースに合わせ、100kmに手加減し片手でハンドルを捌く。
200m先に黒い靄(もや)を見つけ、「何だろう…」と思ったが構わず飛び込む。すると突如、見舞われたゲリラ雷雨で全方位視界不良。高速でワイパーを動かし、ハイビームで防御という名の攻撃だ。
走行距離18万kmくらい走って愛車にガタがくると、代車が到着するまで一瞬だけ停車できた。
時に、派手なデコレーショントラックに追い立てられた上、いちゃもんを付けられたからケンカした。
そーいえば、いつエンジンオイル交換したっけ?
てゆーか、いつからこのタイヤだっけ?
あ…ヤバイ、夏タイヤのままじゃん😓
いーなー…下り車線めちゃ空いてる。
そりゃそうと、そろそろ給油しなきゃ…。
あ、後ろのバンパー擦ってる…😰 いつのまに。
えーっと…、何のこと?と思ったかな…?😃
この尖ったドライバーは、過去、働き者時代を懸命に生きた私。ちなみに…、ぜんぶ比喩。
だって、何を隠そう、現実の私は免許を持っていないんだもの。
愛車 = 私のカラダ(肉体)
ドライバー = 私の魂
に置き換えて読んでほしい。
ちなみに「軽自動車で時速180kmは出ないよ…」というツッコミも来るだろうな…と思いながら、言葉を綴っておりました(*ᴗˬᴗ)⁾
はい、出ません。免許ないけど一応知ってマス。
そして「じゃあ精神は?」という疑問もあるだろうけど、急に降りてきた文章なのでご勘弁を。私にもよく分からない・・・
うまいこと受け取ってほしい😃
はぁ…😮💨 にしても、大事故が起きて廃車になっててもおかしくない…😥
まぁ、仮にホントの運転だったとしても、このドライバー、ヤバい。。😱
でも今日はみんなに聞きたいことがある。自分の愛車(カラダ)にこんな扱いしてませんかね。。女性には特にお伝えしたい。
ちょっとでも、ハッ😱としたのならブレーキかけて休憩してみませんか…♡
女性には役割がある。「無」から「有」を、「0」から「1」を生む。見えない領域を見、それを男性や社会に伝え、促し、導く“前駆力”が女性の役割だ。あくまでも潜象界の領域を扱う。
男性は女性の導きを受け、知力と頑強な肉体でもって「1」を「無限大」に発展させるため現象界の領域を扱う。
どちらが上でも、下でもない。ただ、そういう性質。どちらも欠かせない。
私たち人類は、長い年月をかけ、実に巧妙に男女を反目させ反転させられるようなコントロールを受けてきた。女性は社会進出することで男性と同じ役割を獲得した。もしくは奪った。
「男女平等」に引っ張られた集合意識。一見すると、もっともらしく聞こえるこの言葉。薄っぺらい言葉の裏に、一部の人間の悪魔的な思惑が伺える。
個々においても、連綿と引き継がれてきた系譜とそのダウンロードを継続してきたばっかりに、知らぬ間に深い意識領域に固着してしまった。
しかし、それに気づけた者は、そのレールから離脱するだけでいい。制裁なんて下劣な行為で“闇”とかかわらなくていい。それは光を選んだ人間の役割じゃない。
そして、光だけの世界が必ずある。
光と闇
天使と悪魔
闇と悪魔ありきでバランスを取ろうとするからそっちに引っ張られる。共存することが“正解”と植え付けたのは、まさに彼らだ。目覚めたのなら、しっかりと目を開けてありのままを見るのだ。騙されてはいけない。引っ張られてはいけない。
光と天使だけの世界が存在する。
私たちは、そーゆー世界に移行してゆくのだ。
その時が来たのだ。
急に何か大きく変えなくていい。
今までだって、畳の目を数えるようにゆっくりじわじわコントロールされた経緯があるじゃない。
私たちもじわり作戦でいい。
まず女性は、「自分を愛する」こと。
自分以外のことは二の次でいい。
自分の闇を捕らえてポイポイ手放す。知らぬ間に発してしまっていた“対立”のエネルギーを緩めていく。それをやっていくと必ず景色は変わるから。
男性と同じ土俵で戦うことが本来の女性の姿ではない。
勿論、男性も少なからず改めるところがあるはず。現実化のエネルギーの発出点が“潜象界”だということをしっかりと認識しなくてはいけない。
そして男女ともに反目する精神に気づき、歪んでしまった男女の在り方を元に戻す。
無論、自分の立ち位置や領域を、譲ったり変えたり整えたりするために取り掛かるのは女性が先だ。
なぜなら、“男女の性質”から考えてそれが理にかなっているから。
これは“女性は皆仕事をやめろ”ということではない。今いる領域での振る舞いを適切に変えてゆくのが女性のすべき事なのではないか、ということ。
振る舞いを変えた先の未来で、活躍するフィールドが変わってしまうことはあるだろう。それはそれ。その時にまた新たな道が見える。都度、変化させればいい。
私が伝えたいことは、本来、競い、いがみ合うために男と女が存在するのではない、ということ。
助け合い、協力し合い、愛し合うために男女は存在している。
***
私はいつだったか、気づいて大きく舵を切った。
自らが選択した道を歩み、現在に至るのだ。
高速道路を時速180kmでぶっ飛ばすのはやめた。
私の願いではなかったから。
今、私は田舎道をぼーっと歩く。そんな生活。
毎日、火と水を使って料理する。
美味しい食事をゆっくり食べる😌
それに料理とは、宇宙との対話らしい。
命と向き合い、命を頂く。ありがたい。
どおりで満たされるワケだ。
周りの景色はとてもまぶしい。時間がゆったりと流れる。大好きなよそ見と道草ができる。
空や雲や風を眺めていたら、時間を忘れる。ただ、そこに咲く花はきれいだ。儚いし、凛としている。
私よりも遅いペースで歩く命と出会う。地面をムニュムニュ歩くチョウチョの幼虫だ。しばし足を止めて全身の動きを観察する。唯一無二の命のフォルムが愛おしい。
雨が降りそうな匂いに気づき、はじめの一粒を頬で感じる。傘をさす、ささない、さらには「雨宿り」まで選択肢に挙がる。
雨宿りなんて、究極に理想的な時間の使い方だ。
私は、これからの人生を
“一人の女性として”、ただ生きるだけ。
これがこの地球でやると決めてきたこと。
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
Ayumi☽