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海の青さを知らなかった。

海を見たことがなかった。
母なる湖のそばで育った私にとって、海といえばあの湖だった。

海の青さを知らなかった。
湖の青と海の青は同じだと、そう信じ込んで生きてきた。

井の中の蛙大海を知らず。本物の海は、想像していたものとは比べようがないほど広大だった。


初めて出会った海は、沖縄の海。

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驚いた。その不気味なほどの鮮やかさに。
その色は見慣れた湖のそれとはまるっきり別ものだった。もはや空の色から世界が違ったような気すらする。

生まれ育ってきた湖を「淡い海」と書く理由がようやくわかった。
湖の色は、海よりも淡い。海がこんなにも色彩豊かだったらそう言いたくもなる。


次に移り住んだ街は、山と海、大きな川に囲まれる水に恵まれた街だった。

海辺の街に住んだら、やってみたいことがあった。それは釣りでも海水浴でもなくて、ただ海を眺めて黄昏ること。


じっくりと潮風に当たって、さざ波の音に耳を澄ませる。

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波打ち際が泡立つ。おそるおそる指先をつけて、舌で触れてみる。海はほんとうに塩辛かった。地球の味だ、なんてやけに壮大なことを考えた。


地元でも波の音を聞くことはできる。けれど潮の香り高さと、帰宅後に髪の毛がしぱしぱになっていることに気づくあの感覚を味わえるのは、海辺の街だけだ。

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押し寄せる波はまるで生き物のようで。おいで〜と呼べば勢いよく来てくれるし、少し元気がなくなることもある。そこで励ませば徐々に勢いを取り戻してくれる。しばらく波と遊びつつ、爽やかな空気をたっぷり吸い込んだ。


人の少ない時期に行ったけれど、海には思い思いの過ごし方をする人たちがいた。

釣りをする人、海に足をつけて水遊びする人、ビーチバレーをする人、砂浜に座り込んでずっと景色を眺めている人。沖の方には大きな船が見える。いろんな人がいるなあと感じると同時に、彼らの人生について勝手に思いを馳せてしまう。

あの人はいい魚が釣れたかな、あの人たちはカップルなのかな、あの人はどんな気持ちで海を眺めているんだろう。考えだすときりがない。私はあの人達のことを何も知らない。でも、それでいいんだと思う。

海には人をのびのびとさせてくれる力がある。普段狭い部屋に引きこもりがちな私も、海に行ったあとはなんだか体がよく動くような気がする。心がいくらか寛大になる。たっぷり深呼吸をして、海の香りを存分に楽しむ。

またここに来よう。そう思える場所がまたひとつ増えた。


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皐月まう
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