【小説】赤鼻未満・イヴ|R-18
聖なるこの日に中指を立てるような夜だ。
いつもの店の前に行くと、彼はすでにそこにいた。無数の光が灯された並木通りはカップルでごった返していて、嫌でも今日という日を意識させられる。そんな中、軽く片手を上げてわずかに目を細めてみせる姿は相変わらずで安心した。
お待たせしてごめんね、と駆け寄ると、早く来すぎただけだから気にしないで、と肩についた雪を払われる。待ち合わせる瞬間のふわふわとした高揚感には未だに慣れなくて、視線を泳がせていたら笑われた。その目尻の皺だけで胸が締めつけられるようになったのは、いつからだったろう。
今日はこの店には寄らず、人混みを掻き分けながら一目散に道を歩く。私たちも他の人から見ればカップルとして映るのだろうかと、繋ぐ右手に思わず力を込めた。
彼が片手に持つ袋はやけに大きく、よく見るおもちゃ屋のロゴがプリントされていた。それが私に向けた“プレゼント”でないことは、もうとっくにわかっている。
通い慣れたホテルは私たちで満室になった。夜に人が増えることを見越して、早め早めに来て正解だった。人混みが苦手な彼はここまでの道中ですっかりくたびれたらしく、ネクタイを緩めながら皺ひとつないベッドへとダイブした。
「ごめんね、今日そんなに時間ないから適当にしちゃうかもしんない」
上着をハンガーにかけて隣に腰掛けると、ベッドから顔を上げないまま、休日出勤って言って出てきちゃったからさ、とくぐもった声でつけ加えられた。
せっかくここまで来たのに、という喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。私はもの分かりのいい女にならなくちゃいけない。そうじゃなきゃ、彼が私といる意味がなくなる。
「別に無理してしなくてもいいよ。このまま寝て帰る?」
「んー、やだ、唯ちゃんとえっちしたい」
触って、とすでに硬くなったものをスラックス越しに押しつけられる。そうやって私のツボを知り尽くした甘え方をしてくるところとか、寝ながらも器用にベッドの上のスイッチで明かりを絶妙な暗さに調整するあたり、さすがとしか言いようがない。悔しい。悔しいから、ベルトを乱暴に外してチャックも勢いよく下げ、焦らすことなんてせずに口に含んでやった。
か弱くて情けない声といやらしい水音だけが響き、下半身が疼きだす。生あたたかい雄の匂いと唾液が入り交じった匂いは、思わず顔をしかめたくなるほどの強烈さだ。ただこの時ばかりは彼を私の支配下に置いているような気分になれて、それがより一層興奮材料になる。実際は彼を快楽に導く私がどこまでも彼の下僕であり、道具であることはわかっているのだけれど。
じっくりと舌を這わせていくと、薄い塩味が舌先に広がる。じゅ、るる、普段は出さないような汚らしい音に、私も彼も興奮しているのがわかる。すっかり最大限の大きさに達したそれは、先走りと唾液とでどろどろになっていた。
手首のスナップと舌の動きをうまく連動させながら、どんどん余裕のなくなっていく彼の様子を楽しむ。もうだめ、むり、もうでちゃう、と掠れた声がしてようやく手を止めた。
「唯ちゃん、すっごいうまくなってる……やばい、ほんとに出そうだった」
そりゃあ、今まであなたのために何度ここまで通ったと思ってるんだ。家族から離れたいくせに家から遠くない場所で会いたがるから、いつもたった一瞬の逢瀬のために仕事終わりに電車を乗り継ぐのは私の方だった。おかげでこうして、技だけは磨かれたというわけだ。
一瞬にして裸になった彼が、私の上に覆いかぶさってくる。彼の指にそっと触れられた箇所は、もうすっかりぐずぐずに蕩けていた。そう、この悪戯っぽい上目遣いを見るたびに、ああ、この人に抱かれたい、と腹の奥が悲鳴を上げるのだ。
ホテルを出る瞬間は映画のエンドロールみたいだ、と思う。観るともなく観てしまうのは物語の余韻を味わうふりをして、実はこの先起こる何かを期待しているからなのかもしれない。続きなんて、ないのだけれど。
「ねえ、いつか一緒にクリスマスを過ごせたらいいね」
名残惜しさを誤魔化そうとしたら、めんどくさい女みたいな台詞が漏れた。彼の表情が確かめられない。語尾が鼻声になってしまったのがばれたかと不安になったけれど、彼の声色は何気なかった。
「ん。おれも唯ちゃんとならクリスマスも、お正月も、節分もひな祭りも一緒がいいな」
「エイプリルフールもこどもの日もだよ」
「お盆も、それから次のクリスマスもね」
突然彼が目線を合わせてきたかと思えば、指でそっと涙を拭われた。しばらくなんとも言えない表情でじっと見つめられて、ああ、いつかなんてきっと来ないんだ、と思う。彼は嘘をつかない。つかないからこそ、その言葉を避けるんだ。彼にはこの生活を変える気などない。
彼のために電車に飛び乗り、彼のために見た目を整えて、彼のためにピルを飲む私。でもそれは私が私のためにすることにすぎなくて、彼にはなんの責任もない。やめようと思えばいつだってやめられるのにやめない私のせいで、彼に全てを委ねないと一人で立つことすらできなくなった。
別れ際、そうだ、と不意に彼が鞄の中をまさぐって出てきたものは、有名なブランド名の書かれた小さな箱だった。反対の手に大きな袋を抱えたサンタが担いでくるには、あまりにも小さな。
こうして私に餌をやって、家に帰れば彼は本物のサンタクロースになる。ならせめて、私を赤鼻のトナカイにしてくれたらいいのに。あなたが高く高く飛んで夢を届けるためなら、あなたの隣にいられるのなら、私は下僕にでも虫けらにでもなれる。
──なんて言葉を本人にぶつけられるほど、私は落ちぶれていなかった。いや、落ちぶれているのはどちらなのだろう。現状に泣き言を言うことと、体当たりしてでも変化を与えようとすることと。あるいは、全てを捨て去ることと。
もう、会うのは最後にしよう。何度目かもわからない誓いを立てながら、帰るべき家に帰る背中を見送る。取ってつけたようなハートのネックレスを握りしめていると、まるでこれが本当に最後のような気がしてくる。それでもいい、それがいいのかも、しれない。
下着の内側で、生ぬるい液体がじわりと染みをつくるのがわかった。
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