その「日本人論」に異議あり!
アカデミアで一緒のスティーブ・モリヤマさんの著書を教えてもらったので読んでみました!クーリエ・ジャポンの人気連載が書籍化されたものです。
日本に蔓延する「出羽の守(ではのかみ)」の主張が、無意識のうちに日本の人々を毒のごとく蝕んでいることに危機感を抱き、少しでも「毒抜き」ができればと思って書き始めたもの。
国外の知見を日本で発信する人たちは「海外では」という枕詞は廃止して「◯◯国では」「◯◯地域」ではに言い換えるように。
大切なのは、「多様な価値観に対する社会の寛容度」日本は、もはや高度成長期の国ではない。なのに未だに当時の価値観に縛られているように見える。
「遊び」は理性と本能を秩序立てて統合する要素として重要な役割を演じる。「遊んでいるときにこそ、人間は真の人間である」というシラーの言葉は脳科学的にも正しい。
日本人は、質問するときにやたらと情緒的な言葉(たとえば「想い」「感じる」など)を使う傾向が強い点は独特。
「おのれを空しくして相手の身になって考えることが出来る」人は、どこの国の人ともうまくやっていける。
米国人は、プリーズのもつ権威主義的・懇親的な臭いが苦手。相手との関係性において、①権力格差が明確な時(親と子供、教師と生徒、上司と部下など「上から目線」が許容される間柄)、②他者に想定外の面倒なことをお願いする時など、限られた状況でこの単語は使われる。
幽体離脱がコツ
日本人が持つ謝罪に対する考え方が、根本的に異なる点を理解する。怒りを抑えて、まるで相手が当事者でないかのごとく「どうしたら状況を改善できるのか」と前向きに、相談調で聞いてみる。相手はミスが分かっているので、耳を傾けてくる可能性が高まる。
「建設的批判」は、「相手に逃げ道を残しておくこと」日本人から見て、かなり逃げ道を残しておかないと「破壊的批判」となる。
「沈黙は金なり」
黙っていることは良いことではない。「雄弁は銀」という重要な表現がある。
「雄弁ができて、初めて沈黙の持つ恐るべき威力に意味合いがでてくる」弁が立つ人がTPOをわきまえて効果的に沈黙すると、よりいっそう議論に強くなる。
成熟社会では、8割の人、つまりマス(一般大衆)は頑張らない。平気で、飽きる、サボる、休む、諦める、逃げる。それでも社会は回っている。多様性や多元的価値観に対して寛容な社会に変わる時期を迎えている。
勝海舟「氷川清話」
人が来て囂々(ごうごう)とおれを責める時には、おれはそうだろうと答えておいて争わない。そして、後から精密に考えてその大小を比較し、その上にも更に上があるのだろうと想うと、実に愉快で堪えられない。
もし、わが守るところが大道であるなら、他の小道は小道として放っておけばよいではないか。
「物事は白黒では割り切れない」真実は、たいてい中間の灰色の部分にある。三は万物に通ずる。物事はどうせ割り切れない。1つのことに執着することはない。
豊かさの方程式 「 More with Less」
20世紀的価値観である「More with More(もっともっと)」ではない。「More with Less(なんでも、もっともっと、ではなく、持たない豊かさを知る)という視座。他人との違いに対して寛容な気持ちを持って接する姿勢。
どんな時も人生には意味がある。
自分を必要とする「何か」や「誰か」が必ずどこかにいて、自分に見つけてもらうことを待っている。だから、すべてを投げ出さずに生きていれば、いずれ自分の人生に「イエス」と言える瞬間が訪れる。「人生の方からあなたに向かってイエスと言ってくれるときが必ずやってくる」
「すべての苦しみの原因は我執にあり、我執を戒めよ」
「この世は縁起によって成り立っている。自分とは、人と人との関係性(ご縁)のなかでしか存在しえない」
日本と外国といっても、外国は100以上の国となり、ひとまとまりで表せない。最近は、多様性を多く認める社会になってきているが、日本以外の「外国」について、多様性についてのヒントが多く書かれていて参考になり、お勧めの1冊です。