映画レビュー「逃げた女」~愛する人とはなにがあっても一緒にいるべきなのか…?~
新宿の「シネマカリテ」で、ホン・サンス監督「逃げた女」を観た。
ホン・サンス監督の映画は、好き嫌いのわかれる地味なアート系の映画だ。
そのうえ、監督と主演女優キム・ミニの不倫スキャンダルから、韓国では、あまり大きく取り上げられることもない。
しかし、日本のミニシアターファンのわたしからしてみたら、ホン・サンスは、この映画で、ベルリン国債映画祭銀熊賞を、2年連続で受賞することになったわけなので、どんな映画なのかと期待も高かった。
そして、その期待を裏切らない面白い映画だった。
<ストーリー>ガミは、5年間の結婚生活で一度も離れたことのなかった夫の出張中に、ソウル郊外の3人の女友だちを訪ねる。バツイチで面倒見のいい先輩ヨンスン、気楽な独身生活を謳歌する先輩スヨン、そして偶然再会した旧友ウジン。行く先々で、「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉を執拗に繰り返すガミ。穏やかで親密な会話の中に隠された女たちの本心と、それをかき乱す男たちの出現を通して、ガミの中で少しずつ何かが変わり始めていく。
いつも通りの、ホン・サンスマジックで、時間軸がずれてるような気がするので、起承転結は、どのシーンがどこなのかと観る側が、パズルのように組み合わせて、脳内で再生する面白さがある。
どう再生するかは観る人しだいなので、そこが面白いのだが、ちなみに、わたしは、こんなふうにしてみた。
旧友ウジンに偶然会うところが<起>
先輩スヨンを訪ねるところが、<承>
先輩ヨンスンを訪ねてるところが、<転>
そして、いつものように、ホン・サンス作品だから、はっきりとした<結>はないわけで。というか、自分の中に残ったもの、それが<結>なのではないだろうか。そこが面白いところで、クセになる人はクセになるのが、ホン・サンスの映画なのだ。
どの女友達とのシーンでも、ガミは、必ず、夫は「愛する人とは何があっても一緒にいるべきだ」と言っている。だから、夫と離れて行動するのは、これが初めてだという。
ガミは「夫は~」とは言うけど、ガミ本人もそう思っているのか、はたまた、そう思っていたけど今は違うのか、自分の考えはけして言わない。
そして、女友達も、あえてそれを聞かないのだ。
そこが、会話劇であるこの映画の、いわばキモになっていて、そこのところ、どうなのよと、観る側に突き付けられる感じがするのだった。
うーん、どうなのだろうか?
愛する人とは何があっても、一緒にいるべきなのだろうか?
なんて、考えさせられちゃう映画って、面白いよなあとしみじみ思う。
そして、ホン・サンスって、いったい、どのくらい女を泣かせてきたのだろうかなんて、余計なことまで考えてしまった。
この映画の中で、わたしと友人が一番気に入ったのが、先輩ヨンスンとその同居人(女性)のところに、隣人の男性が、猫に餌をやらないでくれとくるシーン。このシーンのやり取りは、必見だと思う。
女たちの、けして、感情的にならず、かといって譲らずの塩梅が絶妙だ。
でも、なぜ「泥棒猫」っていうのだろうか。
犬は、野良犬が泥棒しても、「泥棒犬」とは言われないのはなぜなのだろう。同じことしても扱いが違うなんて、なんか猫って、損してる気がする。
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