やってみないとわからない① ~「経験しない」ことと「経験した」こと両方あって初めて「わかる」~
こんにちは。ryosukeです。
リハビリテーション専門職として、
患者さんや対象者さんの身体の回復に対するサポートについて考える仕事をしています。
今回で33日目、33回目の投稿になりました。
3日坊主は今まで良くありましたが、
33日坊主にはなる気がしません。
ある程度継続すると、
それに続く○○日目というのはあくまで結果になってきます。
気づけば・・・といった感じです。
そしてそれは続けてみないとわからない感覚です。
やってみないとわからない。
やる前から「できない」とか、
1日目、2日目で「続けるのがキツイ」とか・・・
私は今までそのような感覚を、
「継続」「挑戦」するということに抱いていました。
それは「続ける」と自分で決めたことを、
今まで続けたことがなかったから。
やる前から決めつけていたから。
それは、その方が楽・・・と思っていたから。
でも今、考えれば、その「続けない」選択肢しか知らないのに、
それが楽ってなぜ言えたのか・・・わかりません。
でも実はそれは「楽」ではなく「辛くない」なんだと思います。
決して「楽」ではない。
ここで、「わかる」というのは「比較」の意味が含まれていると解釈しています。
高いお肉が安いお肉よりおいしいとわかるのは、
両方を食べたことがあるからです。
水道水よりも、富士山の天然水が美味しいと感じるのは、
両方を飲んだことがあるからです。
1人で食べるよりも、家族で食べる方が美味しいと感じるのは、
両方を体験したことがあるからです。
「継続しない」よりも、「継続した」後の感覚がわかるのは、
両方の経験をしたからです。
そうです、「継続してみてわかる」のは、
「継続した時」の感覚ではなく、
「継続しなかったとき」と「継続した時」両方の感覚なんです。
人間はよく1つの情報ですぐに判断してしまいます。
でも、実際はやってみないとわからないんです。
子供のころは、わからないことがあると、
好奇心の名のもとに、何でも取り組みました。
子供ですから経験もないですし、成功するか失敗するかもわかりません。
しかし大人になるにしたがって、
周りの意見や、先行する情報、過去の失敗経験が邪魔をして、
やってみないとわからないことを、
挑戦しない、継続しない言い訳をしやすくなります。
それは挑戦して短期的に得られるものを過大評価して、
長期的に得られるものを過小評価しているのです。
ここの解釈はまた②でシェアさせていただきます。
今回もご覧いただきありがとうございました。
今回も、いま多くのことに挑戦している娘の絵を掲載させていただきました。頑張れ~~~~~~!
良い週末をお過ごしください。
それでは、また明日。