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自由映画「グラディエーター2」ネタバレ 考察 テュモスや土の解説
「ヴィエ・ヴィクティス」って呪文?
ラテン語で「敗者に慈悲なし」って意味で、アカシウス将軍が敗者を前に言い放つ言葉。しかし、その直後に将軍は「敗者に慈悲を」と逆のことを言う。
これは敗者に厳しい世界の中で、彼らがこれ以上苦しまないよう願う将軍の徳の高さを示してる。
この映画は前作を含めて「世界をどう変えるか」って話だ。※1
剣闘士だから戦って変えるわけだけど、平和は勝ち取っても維持するのが難しい。
前作でルッシラの父、アウレリウスも
「20年皇帝やって平和だったの4年だけ」と嘆く。
で、「自省録」で復讐は仕返しより赦しを説く。
「怒りを理性や徳で克服しよう。そうすれば平穏で自由でいられる」って事。
これはストア哲学の影響だ。
この哲学は、
理性と徳を重視し、感情に振り回されない生き方を追求する思想。
感情まかせ、他人の自由を奪う人間に徳も理性もない。
奪ってるのは前作のコモドゥスや双子皇帝だ。※4
映画でもルシウスが戦う前に
「ローマは他人の土地を侵略し、それを和平って呼んでる」と檄を飛ばす。
つまり、自由の為に戦う。その力は理性と徳がないといけない。
ルシウスが怒りから解放され徳と理性を得る過程、ハイノからルシウスへの変化が話の根幹になってる。
「地獄の門は常に開いてる」って何?
この映画の「意味深な言葉」がよく出てくる。
知ってると分かりやすく、僕も説明しやすい。だから先に紹介する。
謎の言葉
「テュモス」
マクリヌスが腕縫われてるルキウスに言う。
「お前は何か持っている。ギリシャ語で言うところのテュモスだ」※2
「勇気」を意味し、哲学者プラトンが理不尽に立ち向かう力として言った。
でもストア哲学では、理性を乱す「怒り」の側面を危険視する。
元奴隷のマクリヌスは怒りを重視して勝ち取る為に使う。
価値観の違いがある。「地獄の門は常に開いてる」
ウェルギリウスによる、ローマ建国神話を語る叙事詩。
主人公が冥府で祖先と出会い、自分の使命に気づき、誘惑に打ち勝つ物語。
冥府、地獄は死んだ人間と欲深い人間がいる場所。
つまり生きていても冥府にいる奴はいる。映画なら政治家と皇帝。
「青空を再び見るのは困難だ」と言うのは怒りや欲に溺れると抜け出るのは難しいって話。「木の剣」
rudisと呼ばれる。自由の象徴。剣闘士の卒業証書。もう戦わなくていいから木でてきてる。
前作の興行師プロキシモはルッシラの父からもらってる。
ルシウスが「木でも鋼でも剣は剣だ」と叫び自由のために戦う。
この言葉から考えた1と2の登場人物のポジションも書く。
キャラ付け
皇帝(コモドゥスと双子)=他者の自由を侵害する象徴。
プロキシモ(前作の興行師)=自由を勝ち取る。富に酔い徳を失う。木の剣でルーツを確認。徳を取り戻す。
マクリヌス(興行師)=怒りで自由を、富で権力を手に入れる。怒りが手放せず、ローマそのものに復讐する。
市民と政治家=権力の奴隷。奴隷は奴隷を持つ夢を見る の具現化。※3
マキシマスとルシウス=怒りで理性を失う。その後ルーツを確認し理性を取り戻す。真の自由を勝ち取る為に戦う。
土を握って正気に戻る。
グラディエーターが自分のルーツや出会いによって復讐の怒りを捨てて自由の為に戦い始めるのは分かった。
二人とも復讐に燃えてる。チンパンジー以上の咆哮をするルシウスは怒りの権化みたい。
それが自分のルーツ、つまり祖先とか出身とか初心を取り戻す事で正気に戻る。
猿に食われたアフリカの将軍が「何があって自分を変えるな」はルーツを失うなって事だ。
前作だとルッシラに「かつてのあなたはどこに行ったの?」と聞かれる。
元々の自分って言うのは農民の自分。両作とも麦を触るシーンから映画が始まる。
マキシマスは滑り止め用に土を握るが臭いを嗅ぐ時がある。
ルシウスは妻を射抜いた矢をずっと持ってる。マキシマスに呼びかける時も土を握る。
彼らはローマの外で暮らし、名声や富に縛られずに生きてる。
だから他人のを羨ましがる事もなく、平穏に自由でいられる。
これがストア哲学の理想。現実でうまくいくかは別としてね。
悲しみを怒りに変えて 立てよ! 国民!!
理想って言うならローマの真の自由って言葉が出てくる。
これも現実は別として、映画ではその自由は共和制でのみ実現可って事になってる。※5
つまり皇帝の独裁じゃなく、民衆による統治。現代の民主主義に似てる。
でも戦ってるのは一人だ。それが問題だ。
マキシマスは死を見て喜ぶ民衆に「これが楽しいのか?」と怒る。
ルシウスはアカシウス将軍が死んだ時、
「英雄の死を見てるだけのお前らってなんだ?」と問う。
戦って自由を勝ち取ったグラディエーター達からみて民衆は怠惰に見える。
前作で皇帝を倒したにもかかわらず、民衆も政治家も権力に従いローマの腐敗は進んだ。それでいいのかって話。
「生きとったんかワレ」なグラックスが前作で
「群衆は注目さえ引けば自由を奪われても気付かない」って言う。
その為のパンとサーカスなんだけど、僕たち現代人も似たところがある。
英雄はきっかけに過ぎない。
悪政、悪人、悪癖なんでもいいけど、突破口は英雄が開いてくれる。
その後の世界は民衆に責任がある。
グラディエーターのその後、史実ではさらに混乱は深まる。※6
ローマはその後軍人皇帝時代に入り、独裁は強まり、最終的に東西分裂する。誰も何もしなかったから。
見出しに使った言葉はガンダムで使われるプロパガンダだ。
人の死を利用して民衆を操る人や物はどこにでもいる。
マクリヌスが富と感情を利用して人から徳と理性を奪い支配したように。※7
僕らはおそらく冥府に落ちた人間だ。金や承認欲求を捨てるのは難しい。
でもそれに囚われてしまうと行動を起こした人の努力は無駄になってしまう。そうならない為にも得や理性を重視してみてもいいはずだ。
僕としては、長くなったこの記事への怒りを手放してくれると幸い。
備忘録
※1キングダムオブヘヴンも一緒だ。
※2煙だって言う意味は不明。誤訳?
※3キセロが言ったらしい。キセロもストア哲学者。マクリヌスはストア哲学を知ってはいるが意図的に無視してる感じがする。
※4戦わずに父に愛されようとしてる。戦わないのに金色の鎧を着る。
※5実際は元老院議員が腐敗したり、市民権認められるのごく少数って問題はある。
※6キングダムオブヘブンも市民を騎士に任命し皆で戦う、史実ではエルサレムはその後ヨーロッパ勢が取り戻す事はない。
※7マクリヌスは議員を賭博に沼らせて家を奪う。観客受けは怒りを使ってると最初に自白してる。奴隷を持つ夢を見る奴隷を利用するが自分もそれと同じって呪いを受けてる。
マキシマスは泥について語ること多い。
ローマのデカさに惑わされるなの時の門にロムルスとレムスの話をする。
最終的な兄弟げんかが欲が原因と考えてるのかも。
医者のラウィは剣闘士から医者になった。殺しから救いへ。要は徳と理性。
荒んでた時期に結婚して落ち着くのはルキウスと一緒。
「神々の意思により…」と言って親指を下げたり上げたりする皇帝。実際は民衆の力に押されてる。上か下かは皇帝が決めるか民衆の力に負けたかのどっちか。神は関係ない。民衆がローマを動かすの証拠。神の名を騙る奴らはキングダムオブヘブンにも出てくる。
グラディエーターのパンフレットはない。 リドリースコットの映画でパンフレット見た事ない。