「存在してくれるだけで救われる」という当たり前のことに気づいたはなし
結婚して約1カ月がたった。
今の所、とくにトラブルなく過ごしている。
結婚する上で一番懸念していたこと、それは
一人暮らしを7年ほどしてきたわたしが、果たして誰かと一緒に住むということができるのか。ということだった。
結婚する上で、よく話題に上がるのが「結婚する前に同棲するか否か」問題である。
わたしは「結婚前に同棲はしない」派だった。よく言われる、「同棲すると籍を入れなくてもこのままでいいんじゃない?」という感情が確かに湧き出る、ということを男性の友達に聞いてから、いざというときに何かしらの責任がとれない状態というのはわたしにとっては一つ、怖かった。
あともう一つは、「一緒に住むと面倒なことは何かしら発生するリスクがあるのに、それを早めてしまうのは面倒だ」という理由だった。ロマンチックさのかけらもない。
わたし、ちゃんとした人からみたらドン引きするレベルの面倒くささなんですよね。。
ただ、わたしの場合は、付き合ってすぐの時は徒歩で数分という距離にたまたまお互いが住んでいたこと(同業界で働いている関係で)は大きい。
本当に会いたくなれば、いつでも会えるという距離にいたことは大きく、付き合った当初の浮かれポンチだったわたしの頭を考えると、離れた距離に住んでいたらもしかしたら結婚前の同棲があったかもしれない。
てなわけで、結局わたしたちは結婚してから同棲という形をとった。
細かいことも諸々書いていたのだけど、想像以上に長くなったので細かいところは次の記事で。
まず一つ、自分の中で大きな発見があったのでどうしてもこれを最初に書きたい。
それは、「一人で乗り越えられることも、誰か心を許せる人がそばにいた時、思いのほか救われることがある」ということだった。
一人暮らし7年目で、上記で書いたようにわたしは同棲したことがなかった。
その間、うれしいこともあったが、悲しかったこと、悔しかったこと、自分ではどうにもできないことも沢山沢山あった。
そのたびに、わたしはだいたいのことは自分の中で折り合いを付けて乗り越えてきた。
ときに一人で涙を流し、どうにも心が落ち着かないときは気の置けない友人、同僚に話を聞いてもらったり、そのときの恋人に話してみたりもした。
そして、こうやっていけば、一人でずっと乗り越えられると思っていた。これは、今でもそう思っている。究極、つらいことがあっても時間がすぎ、乗り越えられることが多い。
実は同棲を始めてから、家族のことで思い悩むことがあった。家族のことは自分ではどうにもできないこともおおく、それなりに落ち込み、悩んだ。
家族の、しかも大変繊細なことなので同僚にも友人にもなかなか相談できなかった。彼にも特に相談しようとも思わなかった。そんなことより、もっと違う話のことを話したかった。実際、彼にはそのことを言っていない。時間がすぎれば大丈夫。また私は乗り越えられるのだと思った。
でも、気分が落ちていたとき、同じ空間に人がいるということに想像以上に救われていることに気付いた。同じ空間で、飲み物をのんで、一緒にテレビをみる。たわいのない事を話す。
そうすることが、自分の傷を一人で解決していたときよりも早期に修復できるのだと知り、安心した。
存在するだけで人を励ますことができるのだとそのとき、気付いた。
どうしようもないほど悩んでいる人がいたとき、どうすればいいのかと考える時がある。
どんな言葉をかけてあげればいいのか。どんな振る舞いをすれば、少しでも元気になってもらえるのか。わかりやすい答えは出ない。
でも、「隣にいる」ということだけでも、時に人を励ますことはあるんじゃないかと思う。
その人が元気になることがわからないとき、その人が望むのであれば、一緒に隣にいてあげる。人に話して楽になりたいと思った時に、すぐに聞けるようなそんな関係の構築や、物理的距離としての近くにいることの救いもあるのだと、ようやく気付いた。
もしわたしが、大切な人が悩んでいたとき、そしてその時どうすればいいのかわからなくなったとき、隣にいようと思う。
そして、人がいることの存在になぐさめられる側の立場として言うならば、相手は自分の悲しみを知っていなくてもいいのだ。存在してくれているだけでいい。
青臭い。青臭いんですけど、
時々「生きている価値がない」と悩む人がいる。
ほんとうにそうかな。
あなたが存在してくれているだけで救われる人、きっといると思いますよ。
だって、救われている人がいる存在に気付いてないだけかもしれない。
そんなことを、同棲約1カ月にして思いました。テーマが壮大になりすぎている気もする。
でも最近、プライベートで色々なことがあって、身近な人に生きることに悩む人がいて、
その彼女の思いは何も否定しないし尊重したいと思うけど、
でも気づいてほしいなと思ったし、伝えたし。
改めて思ったのでここでも言葉にしてみました。
青臭いのも、たまには、ということで。