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【読書感想】2024年101冊目「新史 太閤記(上)」司馬遼太郎/新潮文庫
pp.8—44 商人聖
聖は、懐ろから袋を出して、小僧の膝へのせた。
「路用の銭だ」
「これは要らぬ」
小僧は即座に返した。
「貰えばあの百阿弥陀仏に傭われることになる」
・・・うーん、 司馬遼太郎は、やっぱりいい。あの豊臣秀吉の幼少期がこんなにも躍動感をもって描かれている。感動する。秀吉、少年時代から、ただモノではない。
清洲に着き、ここで笈を一つと木綿針を仕入れ、針を笈に入れて背負い、あらためて東をめざした。途中の食糧は、この針を売って稼ぎ出そうとした。
(一貫文を路用につかえば自然になくなるが物を商うかぎり銭は永久になくならない)
・・・子供にして、なんという知恵の深さだろう。苦労しているからこそ、こういう知恵が出てくるのだと思う。
pp.44—81 薬王子
「律義者ですね、あなたは」
「そうありたいと思っている」
「なぜ」
「おれはこの世で立つ何物も持ちあわせておらぬ。金も門地も。──せめて律義でなければ人は相手にすまい」
・・・そう。人間正直が一番。恩を仇で返すような、人を裏切るようなことを、してはいけない。
pp.81—114 嘉兵衛
「いかにも奉公人には相違ないが、わいらのような奉公人根性はもたぬ。わしは奉公を商うとるのよ」(中略)「使われているのではなく、一個の独立した人間として自覚をもち、奉公というものを請け負っている。されば松下屋敷の経費は出来るだけ縮め、主人嘉兵衛に得をさせるのが自分の器量であり、誇りである」
主君に仕えるこの態度、すごい。主従関係を超えた人間味を感じさせる。
pp.115—147 上総介
「人間五十年、化転のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生をうけ、滅せぬ者のあるべしや」のくだりのみを三たび舞い、舞いおさめると扇子をすて、湯漬を立ち食いし、四半刻後には熱田への街道を疾駆していた。・・・
桶狭間の戦い、そして織田信長。寿命が七十年になろうが、八十になろうが、同じこと。人生なんてものは、一瞬の出来事。だからこそ、この今を精一杯生きなければいけない。
信長は戦略戦術を協ける者をもっとも大きく評価するというめずらしい大将らしい。・・・
力ではなく、頭の方が大事。
pp.148—181 寧々
藤吉郎は肩を叩き、うれしそうにいった。この男が破顔うとえもいえぬ愛嬌がある。・・・
男は度胸、女は愛嬌と言ったのは嘘だと思う。男にも最も大切なのは愛嬌だ。
猿は、感服した。まず金銀をみせてみなの意識を一撃しておき、それから要談に入ろうという寸法なのである。 (野武士だけでなく、これが人間のすべてに通ずるやり方かもしれない)・・・
成功の秘訣に「にんじん」は大切だということを、他の本でも読んだことがある。
この時代、武者どもの最大の懸念はつねに「運」であった。いかに膂力が強く功名に焦っていても運のない男はついに没落するしかない。・・・
今の時代も同じ。自分は運に恵まれていると、僕はいつも思う。
「人の気が沈めば、戦さはしまいだ」と小六にも言った。猿は天性、そういう機微を知っている男のようであった。このため、猿は作業隊にも守備隊にも唄をうたわせた。・・・
人生で一番大切な事は、いつも機嫌がいいこと。
pp.182—215 半兵衛
猿はこの点、侍ではなく、あたまから商人であった。新恩を頂戴して信長に損をかけたという。損をかけた以上、敵地を切り取り、切り取る以上すくなくとも千貫切り取り、信長の出費を零にし、残る五百貫分だけ信長に儲けさせねばならぬ、という。・・・
うーん。こういう社員が欲しい。
信長一代、この男ほど人の家来たる者の強欲をきらったものはないであろう。・・・
自分の力量以上の禄を欲しがる人間。それは強欲というもの。会社にとっても必要ない。
信長は──と猿はいった。おそろしく仕事好きで、家来についても仕事をする者のみを好み、甘言讒言で家来を愛憎したりすることをなさらぬ。・・・
織田信長も豊臣秀吉も、仕事好きな人間だった。
pp.217—248 調略
織田家が天下をとる、という希望を、信長は家中に意識的にあたえた。とくに稲葉山城を略取した直後、信長は、天下布武 という金印をつくらせ、公文書に用いた。家中の者は、猿だけでなく、わが身の薄禄をわすれて昂奮したのもむりはない。・・・
今、我が社の急務も、過去の負の遺産を一掃し、未来へ向けて基礎固めをしておくことだ。
信玄は、信長に可愛気を感じた。可愛気を感じたとき、この騙しあいは、信玄の負けになった。・・・
可愛げって、やっぱり万能!人間、可愛げが一番大事。
pp.249--284 利家
昼夜主君の側に侍し、その国の国老よりも威権をふるうという例もある。信長の舅の斎藤道三がそうであった。京から流れてきた油商人でありながら、主君の弱点をにぎり、主人に酒色をすすめて骨抜きにし、ついに美濃一国を横奪りしてしまった。・・・(佞臣とおれとは、きわどい差だ)だから、(木下藤吉郎は)自戒していた。一歩誤らぬために猿には禁忌があった。家中の侍の批評をしないことである。・・・
こういう人間を佞臣、嬖臣という。過去、僕の周りにもたくさんいた。
pp.285--321 善祥房
猿は、半兵衛同様、危険率をそう踏んでいる。「が、仕事はつねにそうしたものだ」と、猿はいった。猿にいわせれば調略にしろ合戦にしろ、つねに五分の無理がある。しかしその無理を踏まなければのぞむ果実は得られない。・・・
安全な道ができるまで待っていたら、全員に先を越されてしまうだろう。
おれは長とか大という文字が好きさ、と藤吉郎はいった。後年、大坂に本拠を移したときもそうであった。大坂はそれまでをさかとよばれ、文字はきまっていなかった。それをこの男はおほさかとし、大坂と書くことを、公にした。・・・
大阪の地名を「大阪」にしたのは、豊臣秀吉だったんだ。知らなかった!
pp.322--324 南殿
迎合しなければ生きてゆけなかった。それを思うと、いまの自分が、はたしてその当時の自分と同一人物であるのかと疑わしくさえなる。・・・
迎合、そう迎合していた時代が僕も長かった。人は誰しも、自分の道というものがある。それを素直に歩めるようになるまでには、相当な時間が必要なのだろう。
pp.355--391 北陸
「智恵とは、勇気があってはじめてひかるものだ。おれはつねにそうだ」・・・
知っていても、一歩踏み出す勇気がなければ、何にもならない。わかっているけれども、やらないと言うのは、日常でも数おおく経験する。
pp.392--427 播州
官兵衛がおもうに、人も家風も、華やぎ、華やかさというものがなければならない。でなければ人は寄って来ぬ。・・・
ライブファクトリーは華やかさの象徴だ。人がここにきて、夢を見る。中に堅実な仕事を増やせば、必ずそのバランスが取れて、事業がうまくいく。この度のことは一つの挑戦だけれども、ヒロボーの発展のために、避けて通れない挑戦だ。
pp.428--459 官兵衛(上巻読了)
藤吉郎は他人への誠実さこそ命がけの策謀であることを自分自身の信長への仕えかたで知りぬいてきている男だけに、官兵衛という人間の本質をもっともするどく見ぬいていた。・・・第一級の策士とは底ぬけの善人であり、そうでなければたれが策に乗るか、と藤吉郎は言いたい。この機微を知る者は自分と官兵衛だけであろう。・・・
このくだりを読んで、そういうことなのかと感心した。織田信長に仕える秀吉も、そして秀吉に仕える黒田官兵衛も、根っこの部分は、誠実だという事。
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![松坂 晃太郎 / MATSUSAKA Kotaro](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/149654368/profile_231803cefb914ad9295a9cea9c6f8a11.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)