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【読書感想】2025年9冊目「最後の将軍」司馬遼太郎/文春文庫

位置No. 17 一 169  一

「あのようなぐにゃりとした寝相では武士の性根が入らぬ。七郎麿の枕の両側に剃刀の刃を立てよ」・・・

そこまでして、しつけるか!ものすごい。

その日課は早暁に起き、手水をつかうとすぐ侍臣が後見して四書五経を半巻音読させられ、・・・

素読だ!ヒロボーでもやってる!

残るは、一橋家である。

 この家も、不幸がつづいていた。代々養子が多いが、奇妙なほど若死であった。いまの養子の昌丸という少年は尾張家からきたが、これもいま危篤の床にある。・・・

将軍家の後継は、なんとも弱々しい限り。やはり過保護が影響しているのだろうか。

斉昭は「智恵勢州」といわれた二十九歳の備後福山城主阿部正弘をよく知らない。この年若い幕閣の首班が、自分に対しこういう微妙な方法で手をさしのべてきていることを意外におもった。・・・

地元の福山藩城主は、歴史の大舞台に出てきていたんだ。知らなかった。

位置No. 177–397  二

英気あればかえって反撥がおこり、おもわぬ連中にお足をひっぱられることになる。今後は、御臍の下に御英気をお貯えになり、おもてむきは御謙遜、寡黙を専一になさるよう御教え申しあげよ・・・

およそ人間の他人に対するねたみの感情ほど、恐ろしいものはないと、僕も思う。

位置No. 398—676  三

人の格は自信によって出来るように思われます。いま殿にとってお大切なことは、御自信でございます。・・・

そうだなぁ。僕にももっと自信が必要だと思う。

位置No.677--973  四

上に媚び、下に傲慢、という種類の人物は自分の智略、器量に自信がない証拠でござりまする、・・・

社内を見渡すと、こういう人間の多いこと。自己評価が高く、努力が足らない。

慶喜のこの時期ほど読書の量があがったことはなかったであろう。晩年、 「自分が多少の文字を知りえたのは、掃部頭のおかげである」  といっている。・・・

閉じ込められてもなお、学ぼうという意欲を失わなかった当時の人の生きる力に圧倒される。

位置No.972—1295 五、六

もともと武州の農民は気象があらく、闘争を好み、百姓でも剣を学ばぬ者はまれといっていい。渋沢とおなじ武州の農村から、同時期、近藤勇、土方歳三らの新選組の創設者が出たのはひとつ気分のものといっていい。・・・

あの渋沢栄一が攘夷の軍を起こして、異人を殺戮していたとは知らなかった。

位置No.1296—1539 七

いまに江戸が戦場になる。  と、慶喜はいった。この慶喜の処置(実際には地方に屋敷がないため家族は避難しなかったが)は、攘夷家たちにふかい感動をあたえた。・・・

慶喜、とにかく芝居が細かい!騙されないわけがない。

位置No.1549—1870  九

慶喜の思うところ、国論・国政の統一以外に救国の道はない。・・・

会社でも、家庭でもそうであろう。仲違(なかたが)いをしていては、なるものもならない。

君主には事の劣敗はない。すべて輔佐の臣に劣敗の罪がある。・・・

そのように教えてくれた社員がいたことを、思い出した。

位置No.1873--2363 十、十一、十二

わざわい蕭牆しょうしょうの内にあり、と申しまする」・・・

蕭牆=かこい。かき。君臣の会見場所に設けたかこい。転じて、一家一族。みうち。また、家内。国内。内部から問題が起こって、組織や体制が滅んでいくということが多いということ。

位置No.2364--2500 十三

節刀授与は単なる復古趣味というよりも、政治事件であった。源頼朝以来の武家政治が、慶喜が節刀をうけることによって理論的にはおわったとみていいであろう。・・・

王政復古へ向けて、進み出した!すごい瞬間。

慶喜はこの軽薄さについて内々にも悔いず、ひとに対しても羞わなかった。胆力といえばこの点の胆気はみごとにすわっており、慶喜の行動は慶喜自身がつねに支持し、自分ひとりが支持しているだけで慶喜はもう自足しているようであった。・・・

社長にも「胆気」が必要。

位置No.2501--2662 十四

「百策をほどこし百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ」  と、慶喜はいった。 ・・・

「時の勢い」に逆らわないこと。逆にそれにうまく乗ることができれば、人生は大きくひらけてくる。そのチャンスを見逃さないこと。誰にでもチャンスは巡ってくる。

位置No.2663--2807 十五

やがて、将軍が着座した。みないっせいに平伏した。慶喜は政権返上についての文書をよみあげさせ、やがて口をひらいた。・・・

僕が子会社を売却することを決して、社員に説明した時のことを思い出した。

位置No.2808--3287 十六、十七

読みかけの孫子をとりあげ、その一章をひらいて板倉にみせ、 「ここに、彼ヲ知リ己ヲ知レバ百戦ストモ殆カラズ、とある。・・・

慶喜って本当に読書人だったんだなぁ。

慶喜はひとから権詐奸謀のひとであるといわれるのであろう。ともあれ、慶喜は自軍のすべてをあざむいた。・・・

自軍をあざむくことができねば、どうして敵をあざむくことができようか。

以後、歴史のなかで慶喜は永久に姿を没した。  静岡では、市中紺屋町のかつて代官公邸であった屋敷に住んだ。隠棲したといっても、慶喜はこのとき数えてまだ三十三歳でしかない。・・・

徳川慶喜、33歳で静岡に隠居。

旧臣にも会わない。慶喜にすれば、会えば何らかの感想を相手にいわざるを得ない。・・・

「これからの世に生きるには、女といえども手に職をつけたほうがいい」と、訓戒した。慶喜が自分の子女を訓戒したのは、あとにもさきにもこのときがただ一度きりであった。

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松坂 晃太郎  / MATSUSAKA Kotaro
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