位置No. 17 一 169 一
そこまでして、しつけるか!ものすごい。
素読だ!ヒロボーでもやってる!
残るは、一橋家である。
将軍家の後継は、なんとも弱々しい限り。やはり過保護が影響しているのだろうか。
地元の福山藩城主は、歴史の大舞台に出てきていたんだ。知らなかった。
位置No. 177–397 二
およそ人間の他人に対する妬みの感情ほど、恐ろしいものはないと、僕も思う。
位置No. 398—676 三
そうだなぁ。僕にももっと自信が必要だと思う。
位置No.677--973 四
社内を見渡すと、こういう人間の多いこと。自己評価が高く、努力が足らない。
閉じ込められてもなお、学ぼうという意欲を失わなかった当時の人の生きる力に圧倒される。
位置No.972—1295 五、六
あの渋沢栄一が攘夷の軍を起こして、異人を殺戮していたとは知らなかった。
位置No.1296—1539 七
慶喜、とにかく芝居が細かい!騙されないわけがない。
位置No.1549—1870 九
会社でも、家庭でもそうであろう。仲違(なかたが)いをしていては、なるものもならない。
そのように教えてくれた社員がいたことを、思い出した。
位置No.1873--2363 十、十一、十二
蕭牆=かこい。かき。君臣の会見場所に設けたかこい。転じて、一家一族。みうち。また、家内。国内。内部から問題が起こって、組織や体制が滅んでいくということが多いということ。
位置No.2364--2500 十三
王政復古へ向けて、進み出した!すごい瞬間。
社長にも「胆気」が必要。
位置No.2501--2662 十四
「時の勢い」に逆らわないこと。逆にそれにうまく乗ることができれば、人生は大きくひらけてくる。そのチャンスを見逃さないこと。誰にでもチャンスは巡ってくる。
位置No.2663--2807 十五
僕が子会社を売却することを決して、社員に説明した時のことを思い出した。
位置No.2808--3287 十六、十七
慶喜って本当に読書人だったんだなぁ。
自軍をあざむくことができねば、どうして敵をあざむくことができようか。
徳川慶喜、33歳で静岡に隠居。
「これからの世に生きるには、女といえども手に職をつけたほうがいい」と、訓戒した。慶喜が自分の子女を訓戒したのは、あとにもさきにもこのときがただ一度きりであった。