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【読書感想】 2024年89冊目 「関ヶ原(上)」 司馬遼太郎/新潮文庫
pp.12--23 (上巻)高宮の庵
ヘンリー・ミラーの言葉「いま君はなにか思っている。その思いついたところから書き出すとよい」。
いいなぁ。誰かの訳文なのだろうけど、「いま君はなにか思っている」という表現がいい。この一文だけで、僕も何を書きたくなった。ちょうど、記憶の彼方へ消えかかっていた、東海道五十三次を歩いた時のことを、書き始めたところ。
pp.24--36 人と人
「わしは子供のころからこの性分できている。いやな男に、感情を押しかくして笑顔をみせるような芸はできぬ」
石田三成はこう言っている。八方美人は嫌いだと。しかし己を隠して演技ができないものには、大仕事はできないと思う。
pp.37--49 女と女
「この近江は、近江商人の名をもって天下に鳴りひびくことになるが、戦国武家社会のなかからも計算の達人が出たことをおもえば、なにか血統的なものがあるのかもしれない。」
京都に一燈園という団体を作った西田天香も長浜の商家の出だったと思う。彼も生業として事業への道へと進んだが、結局どこかでぷつんと精神の糸が切れたようになって、宗教の道へと入っていく。
僕は早くにそこに行き着いた分、俗世に帰ってきてからの方が、長い。
pp.50--61 奈良
「石田治部少輔の内にて、島左近と申すものだ」
顔色も変えない。むしろ、堂々と本名を名乗られて、源蔵のほうが、睾丸が縮んだ。あわてて下帯に手をつっこんでずりさげながら、・・・
この部分、むちゃくちゃ面白い。尾行していた方は偽名を使ったのに、本人は堂々と本名を名乗った。格の違いを感じる。
仕事上でもいろんな人と対峙してきたけど、人間の格って大事。相手を圧倒するだけの格がある人って、そうはいない。
pp.61--86 軒猿たち、伏見城下
左近は武将というよりも、哲人といった風貌のおとこだった。唐代の詩人であった杜甫を愛し、
「たかがおのれの一生など、ついに杜甫一編の詩におよばぬか」
といっていた。変わってはいる。自分の一生を、「詩」として感ずるたちの男なのである。・・・
高校の時、僕は狂ったように毎日短歌を作っていた。おそらく千首は作ったと思う。別に誰にみてもらうためでもなく、生きることを、そのまま短歌にぶつけていた。詩に生きる、生きることがそのまま詩になる。そういう生き方に憧れていた時期があったのを、この文を読んで、ふと思い出した。
pp.87--112 菓子、秀吉と家康
・・・秀吉のほうがさきに死ぬ。家康は内心、(勝負は、ついには寿命じゃ)とおもったにちがいない。・・・
企業で一番大切なことは、永続していくことだ。その永続のためには、「時間を得る」ことが何よりも重要になる。経営者が次の経営者を育てるにしても、時間は必要だ。
そのために僕は「健康経営」を進めている。柔道で心も体も健康になって、社員と共に経営を続けていきたい。
pp.113--151 狼藉(ろうぜき)、秀吉の死、博多の清正
・・・豊臣家にとって不幸なことは、伏見城に駈けつけて秀頼の身辺を護衛しようとした大名はひとりも居なかったことである。「人情の底が、見えたな」と、翌朝、さわぎがおさまってから島左近は長嘆した。・・・
お悔やみにやってきた議員がいた。その人は、故人と知り合いだと言い張るが、まわりの者は誰も知らない。自分の利害しか考えない人間が、この世の中には多い。彼らに翻弄されないよう、自分自身をしっかりとしていかなければならない。
pp.152--191 桔梗紋、霜の朝、訴訟
反応の早さは三成の長所であり、ときには重大な短所にもなった。時期を待つとか、事態を静観する、という芸はこの鋭敏すぎる男のできないところだった。・・・
僕にも、思い立ったら、すぐに行動してしまうところがある。いい面に出ることもあるが、早すぎる行動は、自らを滅ぼす原因となってしまう。一息つくくらいの余裕を持っておきたい。
pp.191--227 藤十郎の娘、暗躍、大阪へ
淀川の堤が決潰し、京橋口の堤防もあぶないという急報が、三成の御用部屋にもたらされた。三成はただ一騎で本丸から京橋口の城門にあらわれ、近在の百姓数百人をあつめ、放胆にも城の米蔵をひらかせ、「この米俵を土俵にして堤防を補強せよ」と命じた。・・・
祖母から聞いている話がある。かつてこの府中の町が水害にみまわれた際、当時布団問屋をしていた松坂家は、商材の布団を大量に集めて、土嚢にし、川が決壊するのを防いで、町を守ったのだという。
そう僕に話してくれる祖母は、とても誇らしげだったのを覚えている。
pp.229--241 問罪使、評判
「縁組のこと、おそらくはご事情あってのことと存じまするゆえ、なぜ御遺法を無視してそのようなことをなされたか、その御事情をうかがい奉れば、われわれの役目も済むというものでござりまする」 「わすれたのでござるよ」と家康は微笑をとりもどしていった。「うかと御遺法をわすれておった。老来、物忘れがひどくなっている」・・・
うーん。家康の策略家たるところが濃く現れている部分。わざと相手を怒らせることで、(合戦に持ち込みたいという)自分の思うところへ持っていく。戦争は、仕掛けた方が負けだ。
pp.242--293 暗殺、黒装
(人は利害で動いているのだ。正義で動いているわけではない)そこを見ねば。 と、左近は思う。・・・
どんなに理屈をこねても、いい格好をしても、会社は利益を残さなければ馬鹿にされる。結局は滅びの道をたどることになる。人生も同じだと思う。いくらいい格好をしても、結局破滅の道をたどってしまう人がいる。人柄というものが、いかに大切かを思う。
pp.295--307 藤堂屋敷
家康はちかごろいよいよ肥満しはじめて、自分でふんどしを締めることができない。自分の手で自分の前にふれることもできないのである。「不自由なことだ」 と、女どもに締めさせながらわが腹をながめて笑った。・・・
確かにふんどしって、パンツに比べてお腹が出ていると、締めにくかった気がする。パンツって、そういう意味では肥満を許してしまうモノになるかもしれない。
pp.308--357 利家の死、脱走
なににしても乱がおこらねば、家康が天下をとる機会がない。その乱を、流言によっておこさせるのである。・・・
流言の持つ力というのは恐ろしい。人は他人の言葉をやすやす信じてしまう。そこにはイメージというものもあるだろう。人はそれぞれにイメージを持っている。言葉はそれにちょっと背中を押すだけだ。
pp.358--395 変幻、瀬田の別れ
「火事はまだ小さい。この豊臣家の火事をいよいよ大きくするために、あの横柄男を泳がせておかねばならぬ」・・・
虎を野に放って、その上で、成敗するという家康の手法は、本当に狡猾だ。でもこれって、僕もよく使っているような気がする。僕の方は狡猾とは程遠いかもしれないが、要するに筋書きを考えることだ。筋書きさえできれば、どんなことも成就する。
pp.396--419 威望
本多正信老人だけは、屋敷の留守居をした。座付作者は、つねに舞台には出ず、幕があけば楽屋にいる、というようなものであったろう。・・・
会社の社長業(代表取締役)という仕事は、いわばこの楽屋にいて舞台に立つ役者を操作する「座付作者」だと僕は常々考えている。だから筋書きはとても大切だし、筋書きが観客に漏れては大変なことになる。時には役者にさえも、筋書きの全体像は教えないことがある。その方が、役者のリアクションもリアルになる。
演技力って大事。それ以上に役者の演技力を支える演出家の力って、大事。
pp.420--445 大阪城へ、西ノ丸
本多正信は、 (人は、節操節義で行動せぬ)ということを、しみじみ思った。さらには利害のみが人の行動を決定するものだ──
経営に感情や私情を入れてはいけないと僕は思う。それらで人は動かない。人は利害で自らの行動を決するものだ。自分の利益になると思えば、動くし、そうでなければ動かない。道理を語って、その通りに人が動くと思うのは、妄想するようなものだ。自分を戒めたい。
pp.446--457 芳春院
芳春院を筆頭とする人質団は、家康の「私物」になって江戸へ送り去られた。爾今、芳春院が関東にあるかぎり、天下の乱がおこった場合、前田家は家康につかざるをえなくなるであろう。・・・
家康って、卑怯だな。天下を取るためには罪なき人を欺き、陥れて成敗していく。でも天下を取るって、そういうことなんだと思う。大なり小なり、政治家って、そういう人間だ。僕は政治家は嫌いだ。
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