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【読書感想】2025年12冊目「箱根の坂(下)」司馬遼太郎/講談社文庫
pp.666--746 伊豆の山
たれもが、早雲を慕っていた。なにしろ、十の穫れ高のうち、早雲は四をとるだけである。四公六民などという安い税率は、どの国にもない。「百姓の持ちたる国」になってしまった加賀でさえ、五公五民なのである。・・・
重税を逃れて農民が増え、開墾も盛んになったから、国も豊かになったのだろう。発想の転換だ。
「天地人を見てきめるのだ」 いま伊豆へ行って地を見、人の情を見、さらには船団で急襲するために天候を見る。・・・
これこそまさに「身体知」というべきものだ。
pp.747--761 出帆
女の盛りなるは のうたである。十四五六歳、二十三四が盛りで、三十四五にもなるともみじの下葉だという。・・・
中国では老いが価値とされたのと対照的に、日本では、若いことに宗教的な価値があったという。
pp.762--785 襲撃
進み、堀越御所につくと、濠をとびこえ、門をやぶり、四方から火をかけた。 足利家の威権が地に堕ちる日であったといってよく、日本国に戦国の世がはじまった日であるといってもよかった。・・・
単なる権威だけの時代から、実力主義の時代への突入だ。
この頃、悪い熱病がはやっていて、たいていが衰弱して死んだ。早雲は堀越の一件を片付けると、兵を軍事に使わず、五百人を手わけし、家々に泊まりこませて看病にあたらせ、医薬や食をあたえて数多くを治癒させた。・・・
早雲、心やさしい!
pp.786--874 三浦半島、出陣、秋の涯
「わしは、いま病気だ」 早雲は、両人に対し、右手を大きく振った。 「それに、朝餉も済んでいない」 と、陣小屋に入ってしまった。・・・
公方が会いたいというのに、身分の違う早雲は、白洲に座らされることになる。早雲は病気だと断る。なんとも痛快。
pp.875--912 高見原
「いくさのかけひきは、人が作るのではなく、山河が生むものだ」・・・
事業も環境が大切だと、僕は思う。
pp.913--949 三島明神
伊豆の三島は、集落としては鎌倉時代に興った。 箱根山塊のふもとにあり、東海道を東にゆき、ついには箱根を越えようとする旅人は、かならず三島で泊まる。・・・
東海道五十三次を歩いて旅した時も、僕は三島で一夜を明かしたことを思い出した。その翌日は、東京まであと百kmという標識を見て、感激し、小田原を通り過ぎて、歩きに歩いて、横浜まで歩いてしまった。
pp.950--959 箱根別当
人は、頼もしくあらなければならない。人から頼られ、人の命をかばい、人の暮らしの立つようにしてやり、人の悲しみにはわがことのように泣く心をもち、人が田地を押領されれば、たとえ非力でもその敵に立ちむかい、おのれの頸の骨に矢が立っても悔いはないという心を、つね日頃から養っておかねばならない。・・・
経営者として、僕もこうであらねば。
pp.960--1020 坂を超ゆ、早雲庵
早雲が小田原城を手に入れたのは、六十四歳のときである。 かれがその死によって現役を終えるのは八十八歳だから、小田原奪取のときにはまだ二十四年の人生が残されている。尋常な長命ではない。・・・
なんという長大な人生。
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