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「ライ麦畑でつかまえて」の主人公はあれから3年後どこで何をしているのか
太宰治の「人間失格(1948年)」を読んで真っ先に思い浮かんだ作品は、J・Dサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ(1951年)」。世の中のすべてがきれいごと、建前、権力者(大人)の都合で作られた秩序。誰もが人生のある期間に感じる自分の周りの社会、世界への違和感や反発と内なる葛藤を描いた作品。
太宰治の作品を続けて読むのも精神衛生上よくなさそうな気がしたので、そんな流れでサリンジャーを読む。村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は手元にあるのだけれど、サリンジャーの短編集を読むことにした。
サリンジャーの短編集としては「ナイン・ストーリーズ」が有名なのだけれど、そちらは以前読んだので、今回読んだのはもう一つの「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」という短編集だ。
日本語訳は2018年の出版なのでつい最近まで日本語で読めなかった作品ということになる。
いくつかの作品に「ヴィンセント・コールフィールド」が登場する。キャッチャー・イン・ザ・ライの主人公ホールデン・コールフィールドの10歳年上の兄だ。「最後の休暇の最後の日(1944年)」という作品の中で、ホールデンが19歳で第二次世界大戦で行方不明になっていると触れられている。また、「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる(1945年)」では次のように語られる
あいつはどこにいるんだ?ホールデンはどこにいる?作戦行動中行方不明って、なんだ?そんなの、そんなの、そんなの信じるもんか。合衆国政府は噓つきだ。政府は、家族に嘘をついている。
そんなばかな話があるか。嘘に決まっている。
あたりまえだ。ホールデンはヨーロッパ戦線で、傷ひとつ負わず、生きのびて、もどってきて、みんなと再会して、それから船に乗って太平洋を渡った。それが去年の夏-あのときは元気そうだった。行方不明だって?
行方不明、行方不明、行方不明。嘘だ!だまされているんだ。
「最後の休日の最後の日」によれば行方不明になったホールデンは19歳。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公のホールデンは16歳だからそれから3年後となる。
そして作品としては、「最後の休日の最後の日」が1944年の出版で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が1951年出版。19歳で行方不明になったホールデンについて書かれた作品のほうが先に出版されている。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はの主人公のホールデンは元祖「中二病」なんて言われているけれど、中二病だろうとなんだろうと戦争に行き、人間同士が殺しあう戦場に立つという現実。これは作者のサリンジャーの従軍経験が色濃く反映されていると想像する。
そんな殺し合いの世界がつい80年前まで世界中で当たり前のように繰り広げられており、そしてそれは今の世界と完全につながっている。
自分の周りの世界に違和感を感じて折り合いをつけられない思春期の青年。そんな青年が3年後には太平洋で東洋人と殺し合いをして行方不明となる。そんな世界に80年前の若者は生きていて、それは80年後の今も基本的には変わらない。
世界に違和感を感じながら青春時代を送るというのはきっといつの時代も変わらないけれど、生きる時代によっては、そんな個人の葛藤と関係なく殺し合いに駆り出される。
私のようなアラフィフ世代は親も戦後生まれ、自分も日本人として戦場を経験することもなく、戦争を知らずに人生の半分を生きてきた。
世界に違和感、葛藤を感じてもがいている若者が、その葛藤を乗り越えてひとりの大人として成長できる世界があることの大切さ。
そんな世界を保つことが難しく感じられる今だからこそ、私たちは真剣にそのことを考えつづける必要があるのだろう。