「これって哲学だったんだ。」池田晶子の本のこと。
「小説以外の本は本ではない」と10代の頃は本気で思っていました。
中くらいの読書好きとして、本は少々読んでいたけれど、小説以外の本を一切受け付けていませんでした。物語こそ読書であると、なぜか強固に思い込んでいました。
20代前半で子どもが生まれてからは、読書をする時間も心の余裕もない生活でした。やっと少しずつ活字を読めるようになった時、リハビリ的にエッセイを読み始めました。短くて生活に直結していて読みやすい。「小説じゃなくても本って面白いんだ」と、ようやく目覚めた20代後半でした。
30代になって少し経った頃のこと。哲学者、池田晶子の没後10周年フェアについて、大学時代の教授がSNSで書いているのを見ました。お名前を勝手に出していいか分からないので伏せますが、イラストレーターとして仕事歴の長い、かっこいい女性です。
私はその先生のことが好きだったので「池田晶子っていう人がいるんだ」と心に残りました。そして子どもと近所の図書館に行った時に、検索機に入力してみました。
「池田晶子」
その時、小さな図書館に在庫があったのはたった1冊でした。その本が「人生のほんとう」(トランスビュー刊行)。池田晶子のコミュニティカレッジでの講義録です。
1冊目が講義録か…と、少し借りるのを躊躇しました。せっかくならちゃんと書かれた言葉を読みたいような気がしました。でも結果的に、人文系の書籍を全く読んでこなかった私にとっては、講義録が入り口に差し出されたのはとてもラッキーだったと今は思っています。柔らかく分かりやすい語りの池田晶子の言葉に、するすると吸い込まれていきました。
「人生のほんとう」を読んで、私は世界がひっくり返ったような気がしました。壁を見つめて茫然としながら、世界を構成する要素や空気の成分が、まるっと入れ変わったような感覚になったのをはっきり覚えています。
語弊を恐れずに言えば、子どもの頃からの親友を見つけたような感じがしました。幼い頃から今に至るまで、ぐるぐるぐるぐる考え続けてきたこと、そういうことが全部「言葉」になって立ち現れていました。どうしてあなたは私のことを知っているの?
答えの出ない問いを考え続けること。思春期には苦しく、また大人になると「どうしていつまでもこんな風に考えてしまうんだろう」と、自分自身を情けなく感じていました。なんだか上手く溶け込めない。なんだか気持ち悪くて受け入れられない。大人なんだから、大人なのに。どうして、どうして。
改めて池田晶子のプロフィールを見ると「哲学者」とありました。
「そうか、これって哲学だったんだ。」考えていていいんだ。考え続けていいんだ!遅ればせながら、私が自分のモヤモヤを受け入れることができた瞬間でした。
読むのが遅いので、池田晶子の著書は少ーしずつ少ーしずつ読んでいます。こんな風に語るだけの知識が私には無いのですが、それでも、池田晶子という存在に、世界を変えられたのは事実です。
さて、臨床心理学者の河合隼雄の本と出会ったのも、ふとしたことがきっかけで、やはり1冊目は講義録でした。そのことはまた今度に。
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