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「認める」ということ。

職場からの帰り道。
歩きながら、ふと「認める」という言葉が頭をよぎった。
そして、今日はなんだか「認める」という言葉が気になっていたことに気がついた。

認める…
目にとめる。存在を知覚する。気づく。
見て、また考えて確かにそうだと判断する。
正しいとして、また、かまわないとして受け入れる。
4 能力があると判断する。
気をつけて見る。じっと見る。

デジタル大辞泉/コトバンク

いろいろと調べてみたが、どうもしっくりこない。
なぜだろう。

このしっくりこない感はどこから来ているのか?

どうも、「認める」という言葉は、「認める」側の価値基準に「認められる」側が取り入れられたように感じる。


主体と客体

認める側が主体。認められる側が客体。
であるとするならば、「主」は認める側になる。

認める。評価する。判断する。
いずれも、主体としての「〜める」側と客体としての「〜られる」側という関係性が生じてしまう。
どうしても主体側が、主であり、上にある感覚が否定できない。
だから、立場上「主体」におかれる側の感覚が、とても重要となる。
「自己の感覚は適切だろうか?」
そう、自己に問い続けなければならない。


主体となる側の感覚は適切か?

職場からの帰り道。
歩きながら、ふと「認める」という言葉が頭をよぎった。

それは、どうやら今の時期と関係があるようだ。
次のようなことに、気がついたからだったのだろう。

3月になり、もうすぐ1年の「区切り」を迎える。
私自信も「認める」側に立つ場面があったはずだ。
その時、適切な感覚に基づいて行ったと言えるだろうか。

自信をもってそう言えるよう、1年を振り返りたい。
そして、また1年後に向けて、感覚を磨きていきたい。

今日も新しい気づきをありがとうございました。


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keiichi MATSUI(松井 恵一)
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