「認める」ということ。
職場からの帰り道。
歩きながら、ふと「認める」という言葉が頭をよぎった。
そして、今日はなんだか「認める」という言葉が気になっていたことに気がついた。
いろいろと調べてみたが、どうもしっくりこない。
なぜだろう。
このしっくりこない感はどこから来ているのか?
どうも、「認める」という言葉は、「認める」側の価値基準に「認められる」側が取り入れられたように感じる。
主体と客体
認める側が主体。認められる側が客体。
であるとするならば、「主」は認める側になる。
認める。評価する。判断する。
いずれも、主体としての「〜める」側と客体としての「〜られる」側という関係性が生じてしまう。
どうしても主体側が、主であり、上にある感覚が否定できない。
だから、立場上「主体」におかれる側の感覚が、とても重要となる。
「自己の感覚は適切だろうか?」
そう、自己に問い続けなければならない。
主体となる側の感覚は適切か?
それは、どうやら今の時期と関係があるようだ。
次のようなことに、気がついたからだったのだろう。
自信をもってそう言えるよう、1年を振り返りたい。
そして、また1年後に向けて、感覚を磨きていきたい。
今日も新しい気づきをありがとうございました。
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