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停滞を打破する『創造』の年度末〜変化を恐れず未来を拓く〜

また、”あの会議”が行われる…。

年度末が近づくと、毎年恒例の”反省”や”評価”という名の会議が、組織単位でいくつも行われる。
集まったメンバーで1年間の反省や評価を振り返りながら、次年度に向けた計画が立てていくのだが、ワクワクするようなエネルギーに出会うことは珍しい。
それどころか、「これって前年のこの会議でも同じように反省であげられていた課題では?」などといった”モヤモヤとした疑問”だけを抱えながら、バタバタと新年度に突入していく。

例年どおり。淡々と。
仕事という名の”処理”
が進められていく。

その結果、一昔前の価値観で、一昔前のやり方を、一昔前の技術で平然と行っていく。

そんな年度末はありませんか?


取り入れられることが少ない、”新しい技術”

10年間の技術の進歩はめざましい。
最近は、5年間だって驚くような進歩。
生成AIがこんなに使われる時代は3年前にあっただろうか…。

めざましい進歩と技術。
だけど、その技術は採用しない。
「導入にパワーがかかるし、いつものようにやったほうが楽だから…。」
その積み重ねが、一昔前の価値観で、一昔前のやり方を、一昔前の技術で行っていくことに繋がっていく。
その結果、社会の変化から取り残された=”ズレ”が生じる。

単年で見れば、”いつもどおり”に進めていくことに大きな問題は見られないのかもしれない。
しかし、”いつもどおり”という単年が積み重なることによって、確実に”時代遅れ”は生じる。
そして、このことが組織運営や個人のあり方に重くのしかかる。


新たな選択肢が提示されると、それに対する「なぜ?」だけが急に求められる”なぜ?”

毎年、”同じ時期にAを実施すること”が当然である。

このような場合、実は…

「なぜ、Aを実施するのか?」
「なぜ、その時期にAを実施するのか?」

という「なぜ?」について共有されていないことが多い。
「なぜ?」を訪ねても、その回答は、
「毎年そうしているから?」という曖昧なものばかり。

”かつて”Aを導入したときには、その理由はあったのかもしれない。
しかし、”かつて”組織を構成していたメンバーは、流れる年月の中で入れ替わっていく。
そして、「なぜ?」が受け継がれることもないままに、「毎年のことだから」という理由で、Aが残され、「いつやるか?」という日時だけが調整されていく。

Aに新たなBが提案されると…。

そんなとき、突然新しい”B”を提案すると、「なぜBに代替する必要があるのか?」ということに、”だれもが正解と言えるような正当性”が求められる

その正当性に、誰かひとりでも反対すれば、B案には大抵”ノー”が突きつけられる。
その理由は、いつもと異なるから。
Aを続ける理由、そして、そもそもAである必要性が共有されていないにもかかわらず…。

確かに、Bに代替するための「正当性あるなぜ?」は必要だ。
ただ、それと同じくらいAを残すという「正当性あるなぜ?」だって必要なはずだ。
Aを残すという「正当性あるなぜ?」が明確である時にはじめて「Aが良いか、Bが良いか?」を議論することができるのではないだろうか?

いつもやっているからというだけの理由でAを再び実施するのでは、社会や組織メンバーが入れ替わる中では”ズレ”しか生まないだろう。
その結果、目的も理由も明確さを失う中で、疲弊感だけが積み上がっていく。

何が変化を拒むのか?

変化を拒む要因

疲弊感や徒労感そして負担感が積み上がって行くにもかかわらず、「変えるのは難しい…」という結果になってしまうのはなぜだろうか?

その理由として挙げられるのは、

・ 変化した先のイメージができないから。
・ そもそもそれをやったことがないから。
・ 変化させて望むとおりの成果が得られなかったら困るから。
・ なぜそうするのかを聞かれてもきちんと説明できないから。
・ そもそも、変えるのは大変だから。

といったものだ。
まとめると、変えることに対する”不安・負担がある”のだろう。

不安や負担はわかるけれど…。

不安や負担は理解できるが、生じたズレに対しては、変化は必要だ。
ズレに目をつぶって、ズレを放置しておくと、ズレが大きくなっても小さくなることはないからだ。
従って、このズレに対する解決への道筋を考える必要がある。

解決への道筋を考える。

変更案を推す側が踏まえておきたいこと。〜変更案を想いだけで推していないか?〜

変更案がなかなか受け入れられない要因に、熱量の差があるだろう。
変更を提案する側は、”良い”と思って提案するために、あれこれ考えて、変更案を作成し提示する。
”あれこれ”考えるうちにやはり熱量は大きくなっていく。
その際に、その変更案に携わっていないメンバーを置き去りにし、熱量の差は大きくなる。
そして、変更案の正当な理由を構成する丁寧な説明が疎かになる。

「いつもと同じ」は、少なからず今の組織を構成するメンバーは実行方法や実行後の成果イメージを共有することができる。
このことが、ある種の「安心感」をもたらしている
飛躍的な成果は得られないかもしれないが、「いつもと同じくらいの成果」は見込めるからだ。
しかし、新しい変更案は、方法から成果まで「わからない」不安が多く、尻込みしてしまうだろう。
そんな不安を感じるのであれば、「いつもとおなじ」方が安心感がある。
結局、なにも変わらないということに繋がっていく。


重要なのは、「丁寧な説明!」

ここまで、変化を恐れる理由とその克服方法について考えてきた。
不安感もあるかもしれないが、やはり社会変化に対しては、価値観や世界観の変更は必要だ。それが大きな大きなズレになってあらわれてからでは対処できないからだ。
だかた、既存のあり方と新規のあり方に対して、もう一度「なぜ?」を問いかけたい。

「わかってくれない」というモヤモヤとした想いを抱くことも多くあるが、変更案を提示する場合には、戦略的で丁寧な説明が必要だろう。

変化へのステップとして、その説明に必要な内容を整理してみた。

【 最低限整理すべき、説明の内容 】
・変更案の目的と背景は明確であるか?
・変更案の具体的な内容と実施方法は明確であるか?
・変更案によって得られるメリットと期待される成果は明確であるか?
・変更案によって生じる可能性のあるリスクと対策は明確であるか?
・変更案の実施スケジュールと評価方法は明確であるか?

そして、どの部分で、どのように、どのような技術を使うことが、具体的な業務の改善や目的の達成に効果があるのかを明らかにすることが必要だ。

年度末を創造の機会に変える

今こそ、年度末を単なる「処理」ではなく、組織の未来を築く「創造」の機会に変えよう。
もう一度、丁寧に現状を整理し、変化を恐れずに『なぜ?』を問い続けることで、組織の停滞を打破できる。
小さな一歩から始め、継続的に評価と調整を行いながら、組織全体で変革を推進しよう。
そうすることで、社会の変化に柔軟に対応し、持続的な成長を実現できるはずだ。
変化は挑戦であると同時に、新たな可能性を開く扉でもある。
勇気を持って、その扉を開こう。

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keiichi MATSUI(松井 恵一)
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