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”知る”という感動 ~「自分の頭で考える読書」ブックレビュー~

本を、読んでも読んでも身になっている気がしない。読んでいる最中には確かに刺激はあるのだけど、少し時間が経つとその本の内容をほとんど忘れてしまっている。

無理やりに本を読んでいるというつもりはないし、本は好きだ。ただ、今の読み方(一時の熱狂)だけで良いのだろうか。何かを得ようとして読んだ本。得たものを積み重ねていくにはどうしたら良いのか。

そんなときに、この本の発売を知り購入。200ページを超える量を一気に読み終えた読後感として、「本を読みたい」。

そもそも、なぜ本は重要なのか。この変化の時代において、経験や幅を広くするためである。本には、自分では経験し得ない他者の知見が詰まっている。昔、知識を得ることができるのは一握りの特権階級だけだった。

本を自由に読むことができ、知ることを排除されないこと自体が、現代人の大きな幸福なのだ。当たり前すぎることだからこそ、「知る」を雑にしてしまっている気がする。

「チ。」というマンガがある。

中世。神のつくった世界で生きる人々のなかに、神の言葉では説明できない事象があることに気づく人々。そのひとつとして「天動説」。地球は固定されて全宇宙の“底”にあり、太陽や星、惑星が地球の周囲を回っているという説。

「これはどうやら真理ではなさそうだ」と気づきはじめた人々が、「地動説」を完成させるために秘密裏に、継承しながら、研究を進めていく。なぜ秘密裏か。神の言葉を否定することになり、拷問の後、処刑されるからだ。「知りたい」が罪となった時代。

文字はまるで奇跡ですよ。200年前の情報に涙が流れることも、1000年前の噂話で笑うこともある・・・・文字になった思考は、この世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある」

「知る」ためになぜ本なのか。他者の知見が詰まっていて、わかりやすく解説してくれるコンテンツは、この時代にあふれかえっている。

本である意味。それは「余白」であり、「モヤモヤ」でもあり、「継続」でもある。1分1秒を無駄にせず、効率的に、わかりやすく、完結で情報が入ってくる動画コンテンツなどとは対極にある。

それは、自分の頭で考えること、自分の人生を生きることでもある。

僕は、読書に意味や量、あるいはルールを定め過ぎていたのだと思う。

「なんのために」「これを読んだら、次はこれ」「有限の時間のなかで、1冊を覚えることは無駄ではなかろうか」「読み終えた」

これらすべてを、一旦覆したい。

「読む意味はわからない」「読みかけでもいい。何度読んでもいい。積んでおいてもいい」「覚えるのではなく、”自分で”考える」「完結せず、問いを持ち続ける」

余白のある”自分の”読書によって得た問いを抱えたまま生きることで、ふとした瞬間に問い同士が繋がり、新たな価値が自らのなかに形成されるかもしれない。これは、著者ですら意図していなかった誤配であり、まさに「自分の人生」である。

大切なのは、向き合い、自分の頭で考え抜き、悩み、楽しみ、悩み、悩んだ末にでてくる「知ってしまった・・・‼」という感動なのだと思う。そのための補助線に、本書を活用したい。

(22.01.31)


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