【書評】銭湯文学を読む:「不動明王の憂鬱」(北森鴻)
銭湯の出てくる映画や小説など、気の向いたときにぼちぼち紹介していきます。
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2010年に夭折したミステリ作家、北森鴻氏。代表作の一つが、京都・嵐山の古刹、大悲閣千光寺(だいひかくせんこうじ)に勤める寺男の有馬次郎が探偵役として活躍する連作短編集「裏(マイナー)京都ミステリー」だ。
なお千光寺は嵐山に実在する由緒正しい寺で、松尾芭蕉によって「花の山 二町のぼれば 大非閣」という句にも歌われている。筆者も昨年聖地巡礼として出かけたのだが、二町(約218m)の急坂を上るのは骨が折れたものの、崖に張り出すように作られた質素なお堂と、嵐山と京都市街を一望できるパノラマは実に見事であった。
この千光寺で素性を隠して生活している(という設定の)有馬次郎は、かつて京阪神を股にかけて暗躍した元・広域窃盗犯であり、彼が裏社会時代の人脈や知識を活用して事件のトリックを暴くという展開が見どころになっている。
さて、本作の事件は不可解な死体遺棄。推理に行き詰まった有馬次郎が銭湯に浸かっていると、同じ銭湯にいたサラリーマンの会話から謎解きのヒントを得るシーンがある。少し長いが引用する。
「大変やったなあ、一ヵ月も横浜に出張やなんて」
「あんじょうかなわんて、ほんま。向こうの支社寮がひどい、ひどい。寮の風呂一つついてないやなんて。うちの会社、ほんまに大丈夫やろか」
「ええやないの。どうせこっちにおったかて、こうして」
「ま、銭湯が一番やけどな。せやけど、あっちはえぐいで。入浴料の他にサウナ料金まで取りよる」
「ほんまかいな」
「結局やな、銭湯使うたびに五百円玉が飛んでいきよる」
「えぐいなあ、そりゃ」
「ただ、ええこともあんねんで。向こうの銭湯はなんちゅうても広いのがよろし。サウナはどーん、湯舟かてどーん、カランはズラ~てなもんや」
「けど、そないに広い湯船作って、カランがズラ~なんてことが可能なんか」
「そこが関東の面白いとこや。湯船をナ、こっちみたいに風呂場の真ん中に作らへんねん。一番奥に作って、カランを余ったところに二列、三列と、やね」
「ははあ、関東の銭湯は皆広いと聞いてたけど、なるほど、広さがあるからこそ、そないな作りがでけるんやな」
「そういうこっちゃ」
ー「不動明王の憂鬱」『支那そば館の謎』(光文社文庫、2006年)
なんてことない会話だが、関東と京都の銭湯の興味深い対比が隠れている。
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まず、前半の
「ま、銭湯が一番やけどな。せやけど、あっちはえぐいで。入浴料の他にサウナ料金まで取りよる」
「ほんまかいな」
「結局やな、銭湯使うたびに五百円玉が飛んでいきよる」
という会話。
東京・神奈川の銭湯の多くは、基本の入浴料金にサウナ料金が含まれておらず、サウナは100円から500円程度の別料金となる。また、そもそも銭湯にサウナを併設していないところも少なくない。
一方、京都の銭湯の多くは、小さくてもサウナを備えており、しかも入浴料金でサウナも入れる。
21年5月時点で京都の入浴料450円に対して、東京・神奈川は470円。基本料が20円違う上に、サウナまで含めた入浴料では2倍近い差が出ることになる。2人のうち、横浜に出張していた方が文句を言いたくなるのもわかる。
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一方、後半の
「そこが関東の面白いとこや。湯船をナ、こっちみたいに風呂場の真ん中に作らへんねん。一番奥に作って、カランを余ったところに二列、三列と、やね」
「ははあ、関東の銭湯は皆広いと聞いてたけど、なるほど、広さがあるからこそ、そないな作りがでけるんやな」
という会話では、関東式の銭湯の良さが紹介されている。関東式の場合、基本的に浴室奥に間仕切りが入った横長の浴槽が置かれたり、複数の浴槽で空間を埋めたりすることが多い。いずれにしても手前にカラン(洗い場)、奥に浴槽という配置だ。
【絵心に溢れる筆者によるわかりやすい図解:関東式の例】
一方京都市内の町屋に設えた銭湯では、いわゆる「鰻の寝床」と呼ばれる、縦に細長い作りになっていることが多い。
関東式に倣って、奥に横長の浴槽を置こうとすると湯舟が狭くなってしまうため、限られたスペースを活用するために、湯舟を真ん中に置き、その周りにカランを置いたり、小さ目の湯舟を散在させたりする構成が多い。
【絵心に溢れる筆者によるわかりやすい図解:京都式の例】
京都の狭い湯船に慣れた京都人からすると、足を伸ばしてゆっくり入れる関東の広い浴槽はありがたく映ったことだろう。逆に関東から京都に行って銭湯に入ると、1~2名用の小さな浴槽が多い京都式は、なんだかテーマパークみたいで面白い。
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サウナが無料で交互浴し放題の京都、広い湯船にザブンと浸かれる関東。みんなちがって、みんないい。
ちなみに、京都と関東の銭湯の造りの違いにフォーカスできたのは、駒沢大出身の作者の背景ゆえだろう。京都出身者だとそもそも気付かないかもしれない。
筆者は出張や旅行で何回も京都の地を踏んだが、京都の銭湯は実によい。上記の通りサウナを安価で利用できる点もしかり、街歩き・寺社巡りのついでに銭湯に入れるし、水風呂も冷えてて気持ちよいところが多い。
「やはり冬の京都と銭湯はベストマッチの一つに数えて良いのではないだろうか」
ー「不動明王の憂鬱」『支那そば館の謎』(光文社文庫、2006年)
という有馬次郎のモノローグに、筆者は強く同意するものである。
なお詳しい経緯は省くが、本作では銭湯に忍び込んだ男が、真っ暗な中で滑って浴槽に頭を打ってしまい、運悪く亡くなっている。京都出身でなかったため、浴室中央に浴槽があることを知らなかったがゆえの悲劇だ。
読者諸賢がやむを得ず銭湯に忍び込む際には、浴槽配置の違いを頭に入れてから臨んでいただくよう、老婆心ながらご忠告申し上げる。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
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参考文献:
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