歌集のあとがき

○はじまりの一首


  そびへ立つ二宮遠く儚くも
     思ひ留めし故郷の風

 星の身と也しわが師への追悼歌である。
 先生と私を繋ぐ歌だ。

 十年前は正月夕刻、急逝の報を受けた。
 そこから泣き明かす夜が続き、不出来で不始末な我が身をかへりみればみるほどに先生の優しいあの声が思ひ起こされ、あのときのあの会話、あの口調や節回しなどを思ひ出せばこそ悲しみは増すばかりであつた。

 当時、わたしは通つてゐた萬葉集の勉強会の学びを切つ掛けに詠歌への秘かな憧憬を抱いてゐた。その憧れは慟哭と交はり、どうしても歌を詠まずにはいられなくなつた。星と成つた師へ歌を捧げんと強く思ひ至つたことが小生の歌詠み人としてのはじまりである。

○星星のちからを受け


 本歌集は、師への追悼を主とした歌集である。先生の五十五年の生涯に寄り添ひ五十五首を選び出し、それを空へ届けんとすべく制作に至つた次第である。

 歌ひ始めた当初より同じ研究科の先輩に歌集への編纂を薦められ、その思ひを心にしまひながらこの十年を過ごした。「いつか歌集にするぞ!」といふ最初の提案を頂戴してゐなければかうして自然や歴史、己と向き合ふことが出来たであらうか。
そしてその微かな光を大事に大事に胸の奥へ仕舞ひ、蛇行をくりかへしくりかへししてゐると河口へたどり着き、とくに最後の二年は、河岸からの声援や空に瞬く美しい星々の力を体で受け、なんとか水を掻き分けながらやつと出版へと漕ぎ着けるに至つた。

 また、さらに同ゼミであつた髙橋君とは悲しみをある種共有し、そして影から支へてもらつた。彼がゐなければこの歌集の完成もなかつたと思へるほどにわたしを何度も「海」へと誘つてくれ、そんな感謝を、感謝に満ちた思ひを今強く強くもつてゐる。


○詠歌の舞台を前にし


 ここで、最初と最後の一首に解説を加へ後書きを閉じたい。読者様が歌を想像する余地を少しばかり頂戴し、言の葉を幾ばくか後付けさせていただくことをどうかお許しねがひたい。

 冒頭の歌は、恐縮至極、恐れ多くも「君が代」を本歌取りさせていただいた。完成時にはまさにこの歌が生まれるための十年であつたと、さう錯覚するほどの感を覚へた歌である。わたしの和歌に対するさまざまな思ひや、さらには我が国の詩人の叫ぶ悠久の歴史にもひたすらに低頭しながら少しでも寄り添ひたいといふ思ひを込めた。
その我が国の詩人について、保田與重郎先生は下記のやうに語る。

「(中略)詩人の本質を作るものは、大いなる歴史と風景の力であるといふことである。詩人のいのちは歴史だといふことである。」

(保田與重郎『芭蕉』平成元年、講談社、55頁)


 保田先生はその著書『芭蕉』において、松尾芭蕉が最初のいはゆる「野ざらしの旅」を機に皇神の道及び風雅の道を己のうちに強く呼び起こしたと解説してゐる。芭蕉は亡くなつた母の遺髪を求める道中にて様々な古跡を訪れそこで思ひを馳せ、その歴史を嘆き悲しむことで国風の感覚をさらに研いでゐつたと記してある。
 本作の第二章では、わたしの西日本への旅で詠んだ歌を主に配した。自分の感じた自然を題材にしてそのときの己の感情、土地土地の歴史や古人の思ひに寄り添ほうと歌を書き留めてきた。旅の中で出会ひ酒を酌み交はしていただいた皆様には頭が下がるばかりである。
今思へばその西への旅が保田先生の語つた言葉をわたしなりに噛み砕きそしてその理解への増進を図る小さな一歩になつたのではと、恐れながらさうおもつてゐる。

○引き受けた役を演ずる


 そして最後の一首。やはり師への思ひを歌つた歌である。
 先生の研究対象のひとりであつた昭和の批評家福田恆存先生のお名前二字を拝借し、さらには題名「ほしのみや」、両親より頂戴したわたしの名前の漢字「昴」などを机上に並べ、先生の好きだつた文士の集ふ湘南は二宮の街を想起しながらの一首。
 唐突だが、ここで先生のある雑誌の対談記事を引用したい。

「でも、演奏家であれ、聴き手であれ、評論家であれ、われわれが日本人であるということからは逃れられない。もちろん時代からも逃れられない。いくら「反時代的」を気取ってみたところで、人はその時代のなかでどう生き、どう関わり、どう背負うかということが常に問われています。同じように日本人である以上、日本をどう背負うのか、あるいは日本にどう生かされているのかということが常に問われる。」

(『正論 五月号』平成二十五年, 産経新聞社, 257頁)


 自分の生き方を自覚し、その舞台の上でどう振る舞ふのか。師が残した様々な言説の中で繰り返し言及した問題意識のひとつであつたとおもはれる。
わたしは巡り合はせの中で和歌を詠むことに魅せられ、今に至りては大いなる自然、そこにただ存在するありふれた自然を感じればこそ(心に余裕がありてなほ)自ずと呼吸をするやうに歌を詠みはじめる。さう生かされてゐるのだ。

・〜・〜・〜・

 さて、少し喋りすぎたであらうか。
 いや、これも自然の赴くまま、カミのまにまにといふことで、わたしはこれからもこのカミナガラの道を進んでゆくつもりである。いや、進んだ道が偶然にかむながらの道だつた、かむながらに生かされているといふ感覚に包まれながら生を全ふできればと、このやうに今思つてをります。

 この先、今までの出会ひの中で歌集を所望してくれた方々へのご挨拶に訪れる道中にて、次回作の準備を始める予定にございます。わたしの拙い歌集やこの先の歌詠み人としての人生に興味を持つていただいた方、是非応援していただきますればとても嬉しいです。

 この度はお買い求めいただき本当にどうもありがとうございました。是非また読んで欲しいです。
あなた様の健やかなる日々が続きますことをささやかながら願つてをります。
 いつもありがとうございます。


令和六年八月、佳き日にて

いいなと思ったら応援しよう!