わたしが歌を詠む理由
○ワケなどないよ
「あの子のことなんで好きなん?」
「はあ、そんなん知らんし。」
「いや、優しいからとかなんかあるやん。」
「強ひて挙げれば…」
カントリイ・ロオドを進みて、耳をすませば今日も日本のどこかで話されてゐるであらう「こゑ」が聞こへてくる。
先日、NHK『新日本風土記』にて「鬼と炎の奈良」と題し、奈良県各地の節分行事を取り上げた番組にたまたま出会つた。
その中で、南部の街、五條市は念仏寺の「鬼走り」といふ、夜に松明片手に御堂内を巡る「良い鬼」が人々の災厄を払ふとされる約五百年続く伝統の儀式を知つた。
そしてその鬼役の男性の祭り一週間前の「精進」に焦点が当てられてゐた。その精進とは、下記のやうな柳田國男氏の説明を手繰り寄せる。
神霊がそれに依つて御降りなされると、思ふことが出来るのは信仰である。(中略)大切なことは祭の準備、即ち古来定まつた手続き規則が、少しもぬかり無く守られてゐたといふ自信さへあれば、神様は必ず来て下さるものと安心してゐられたのである。皆さんにはちとむつかしい言葉かも知らぬが、昔の人はこの用意を、ものいみ(物忌)と謂つてゐた。後には仏教の方の精進といふ言葉を、おもあひに使つてもゐたが、祭の精進は身を清潔に保つことが主であつて、魚や鳥などは食べてもよかつた。たゞそれを煮る火を穢れさせぬことが大切であつたのみである。
身を清め、穢れを祓ふ。
番組では鬼役の男性からその地域特有の「精進」の内容が語られてゐた。醤油や味噌などの調味料も「鬼さん」用で家族とは分けて別途拵へ、シャンプーも新品にするのだとか。
○清き心を
さて、この我が国における清貧の思想を体現し、身に宿すための「しきたり」のひとつとして祭りは存在してゐる。
その清らかなる心持ちを獲得する術は都会、田舎の別なくありふれてゐるとおもはれる。
たとえば、神社にいけば、周囲の静けさを体いつぱい吸ひ込むことで胸のあたりからへその下あたりまで「気」が下がつていくのが感じられるであらう。
また、高速道路のサービスエリアにて、さあ一休み!山山に囲まれ広広と視界のひらける駐車場に降り立つ。背伸びをして腕を押し上げ高らかに深呼吸する。その後のあのすつきりと身体が軽くなる作用はなんなのであらうか。
と、いふやうに、「清潔」な身体感覚を獲得できる方法は世の中に溢れ、それは個々人によつても取り巻く環境によつてもちがふであらう。
○「ああ。きれいだなあ」
清らけき自然と隣りあはせになることで、自己の内部を含めた全身を以て歌を捻り出す準備が「瞬時」に整ふ。「ああ、きれいだなあ」と対象を愛でてそして吐き出され呟く声はそのまま「プレイ!」といふ審判の掛け声がごとく、その「あはれなる」声が発せられたのとほぼ同時にわたしの全感覚器官総動員で「三十一」文字へと変換作業が始まる。さらに続いてそこにある種々の自分の外側を形成する全てを抱きしめに掛かり、言の葉として丁寧に摘みはじめる。
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歌を詠む理由になつていない理由を縷々述べた。「松尾芭蕉になりたい」と最近推しの芭蕉さんを日頃パワーワードにしてゐますが、冒頭の恋バナよろしく、まあ「強ひて挙げれば…」と、わたしが話し出したくなるやうに飲み屋にて酔はせ、そして「吐かせて」ください。
Take me Izakaya! and Take me home...
ただ、わたしは元バーテンダー、酒つよつよ人間かつ、あなたに気持ちよく話して欲しいと聞き役として振る舞つてしまふ、「お口ミッフィーちやん」たいぷなので…
どうかわたしの歌集を手に取つていただき、わたしの素直な真心の告白を受け取つていただければすごくすごく嬉しいです。
てうど二年前に詠んだ歌で今日はお別れです。
目を覚ます見えない星の見ゆる夜に
ひとみ凝らしてきみを追ふらむ
目にのこる見えぬ星さへ見ゆる世に
ひとみ賭してもきみを追ふらむ
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制作中の歌集のあとがきを下の記事より先んじて公開してをります˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚。