
臓器提供の意思表示しようとしたら「脳死」が難しすぎて脳が溶けた
僕は、数年後に肝移植を希望している難病患者だ。移植以外の根本的な治療法は今のところない。
しかし、日本の移植医療は海外と比べて非常に遅れていて、臓器提供の数がとても少ない。移植を希望していても実際に臓器移植を受けられる確率は、ガリガリ君の当たりくらい低い(3%)。このままでは僕の命がやばいので、少しでも自分にできることはないかといろいろ調べて発信しているのがこの記事である。
臓器提供シリーズのイントロダクション的な記事はコチラ。
臓器提供がガリガリ君レベルになっている一因として、「脳死」の理解が進んでいないことが挙げられる。
死後の臓器提供は、大きく心臓死と脳死で分かれていて、保険証や免許証の裏にある提供意思を記入する欄も、選択肢が分けられている。
タイトルからわかるように、筆者は医学の専門家ではない。非専門家にとっては脳死というのは難しい内容を多く含んでいて、調べて納得するのには時間がかかる。その結果、記入をやめてしまうことが多いのではないかと思っている。
そこで、脳死について専門外の人が調べて納得するための道標となるようものを目指してこの記事を書き始めた。
なぜ脳死が臓器移植と関係あるのか?
心停止後と脳死後では、提供できる臓器の数にかなり差がある。以下は、心停止後と脳死下での移植できる臓器を示している。
心停止後:腎臓・膵臓
脳死下 :腎臓・膵臓・心臓・肺・肝臓・小腸
端的に言うと、みんなに脳死下での臓器提供に同意してもらえるほうが多くの命を救える(注1、2)。この理由で、意思表示の欄も、心停止後と脳死を選択できるようになっている。
しかし、脳死というのが一体どういうものなのかわからないと、選択することがそもそもできない。「脳死についての疑問点が解消されれば脳死下の臓器提供に同意するんだけど……」という人もいると思う。
脳死はどう説明されているか?
日本移植学会の説明を見てみる。
脳死とは、呼吸・循環機能の調節や意識の伝達など、生きていくために必要な働きを司る脳幹を含む、脳全体の機能が失われた状態です。事故や脳卒中などが原因で脳幹が機能しなくなると、二度と元に戻りません。
薬剤や人工呼吸器などによってしばらくは心臓を動かし続けることもできますが、やがて(多くは数日以内)心臓も停止してしまいます。
植物状態は、脳幹の機能が残っていて、自ら呼吸できる場合が多く、回復する可能性もあります。脳死と植物状態は、根本的に全く違うものなのです。

続いて、日本臓器移植ネットワークの説明を見てみる。
脳死とは、脳の全ての働きがなくなった状態です。どんな治療をしても助かることはなく、人工呼吸器などの助けがなければ心臓は停止します。回復する可能性がある植物状態とは全く別の状態です。
一言で書くと、「脳機能の全面的かつ不可逆的喪失」になるだろう。
脳死状態というのは、人工呼吸器に繋がれて身体中チューブだらけになっているが、心臓は動いていて身体は温かい。一見すると眠っているように見える(参照1)。
想像してみて欲しい。自分の家族がこの状態になったとして、「脳死状態です。残念ながら死んでいます」と言われて「はいそうですか」と納得できるだろうか?(注3)
ぱっと浮かんだ疑問
上の説明を見て湧いた疑問を3つ挙げよう。
1.「脳全体の機能が失われた状態」「脳の全ての働きがなくなった状態」?
ある特定の臓器の機能が失われることをその臓器の死、さらには人間の死と考えてよいのだろうか? 例えば、腎不全で腎臓の機能が失われても、腎臓それ自体は血流もあって臓器としてちゃんと生きている。機能喪失と死は違うことがわかる。また、胃などは全摘出しても生きていくことができる。特定の臓器が無くなることが人間の死とただちに言えないこともわかる。
では、なぜ脳や心臓だけは機能停止すると人間の死とされているのだろうか?
また、「脳の全ての機能が失われた」というのはどのように知ることができるのだろうか?
心臓の機能は単純に拍動することなので、拍動を停止すれば機能停止と言える。しかし、脳は複雑な臓器である。どのようにして全機能の喪失を知ることができるのだろうか?。
2.「二度と元に戻りません」「どんな治療をしても助かることはない」?
「どんな治療をしても助からない」だけでは、死んだことにならないだろう。例えば、余命が数日となったような患者は「どんな治療をしても助からない」に該当する。しかし、その患者は死んでいると言えるだろうか?
また、「どんな治療をしても助からない」というのは、どういった根拠で言っているのだろう? 脳の機能の仕組みから原理的に考えてそう結論しているのか、多くの症例を観察して統計的に得た結果からなのか、簡単にでもそれを知りたい。
テレビで「奇跡の復活」などのニュースを見たことがあるが、それは「脳死からの復活」に該当しないのだろうか?
3.「人工呼吸器などの助けがなければ心臓は停止」?
特定の医療機器がなければ死に至るというケースは他にもあるが、それだけではその人の死を意味しない。人工透析やペースメーカーが良い例である。
脳死の論点
さて、上で挙げた疑問を元に、脳死の論点を3つに整理してみた。なお、ここでは問題提起だけして、深堀りは別記事にする。
A.死とは何か? 脳死は死なのか?
生物の「死」とは何だろうか? どのような状態になることを「死」というのだろうか? まずここをはっきりしないと議論が進まないだろう。
以上の論点について、以下の記事にまとめたので興味があれば参照してほしい。
B.「脳死状態」はどのように定義できるか?
“脳が死ぬ”ことが人間の死だとして、脳がどのような状態になったら脳死と言えるのだろうか?
以上の論点について、以下の記事にまとめたので興味があれば参照してほしい。
C.「脳死」と誤って判定されることはないのか?
「脳死状態」をどういう状態であるかを定めたところで、どのようにしてそれを外部から知ることができるのか? 現在の脳死判定の検査方法は間違えることはないのだろうか?
D.「脳死状態」から復活することはないのか?
脳死判定されたら「復活しない」のだろうか?
以上の論点がクリアになれば、脳死についての疑問はなくなるはずである。
注1)近年の動向を見ていると、臓器提供者の母数は変わらず、脳死下での臓器提供の割合が多くなっている。結果的に心停止後が激減しているようだ。そのため、やはり臓器提供の絶対数を増やす必要がありそうだ。臓器提供の絶対数を増やす取り組みのうち、意思表示を増やせないかと考えて以下の記事を書いたのでぜひ読んで欲しい。
注2)他にも、心停止後の提供は、手術室がある病院ならどこでもできるが、脳死後の提供は、大学附属病院等の高度な医療を行える施設でしかできない。日本全国の約850の病院に限られるようだ。さらに、「必要な体制を整えている」と施設側から回答と公表承諾がった施設は370に絞られる。
ガイドライン上の5類型に該当する施設(令和3年3月31日時点)
注3)脳死した人は、人工呼吸器によって一定のリズムで肺が動く。その動きがあまりにも規則的なため、「機械的で無機質」と感じる人もいるようだ。
参照1)以下のリンクから臓器提供を迎える前の家族と提供者の写真を見ることができる。
臓器提供 家族の葛藤 移植待つ娘はドナーになった/NHKニュース
いのちと命~ドナー家族の心のケア~/HTB NEWS