「情報幾何学」という言葉
「情報幾何学」とお好み焼き
クッキングの時間に子どもとお好み焼きを焼くことがある。小さな手がボウルの中の生地をかき混ぜる音。白い渦がゆっくりと広がる。コンコンとリズムよく卵を割る音。トントントンとキャベツを刻む音。その一つひとつが、どこかでつながっていて、最後に一つになる…
子どもたちは、焼けるのを待ちながら、鉄板の上で焼けるお好み焼きをじっと見つめている。その目には、きっとただの食べものじゃなく、何か大きなものとして映っているのかもしれない。
情報幾何学では、データがつくる見えない空間を扱う。数字の分布が曲がったり、伸びたりして、あるべき場所へと自然に流れていく。そんな風に、子どもたちの心も、言葉にならない「何か」にそっと触れながら、変化しながら流れてていくのかもしれない。
お好み焼きをひっくり返すと、ふちが少しだけ焦げて、思ったよりも不格好になった。でも、子どもたちは「わあ!」と声を上げる。その形や焼き目の模様が、お好み焼きではない何かに見えたのかもしれない。
情報幾何学では、最短距離を求めるために、データの「ゆがみ」を考える。けれど、子どもたちはそれを理論なんか知らなくても、ちゃんと感じている。焼きすぎたところも、ふくらみすぎたところも、全部ひっくるめて「おいしい!」と言う。
大人はつい、何かをまっすぐに整えようとする。でも、子どもたちは「ゆがみ」も「まがりくねった道」も、そのまま受け入れ、その道を遊ぶように進んでいく。
お好み焼きが焼き上がり、子どもたちは小さなコテでそれを切り分ける。ほんのり湯気が立って、鰹節が踊り、ジューという音と共にソースが流れ落ち、香ばしい匂いが立ち上がる。その瞬間の美しさを、子どもたちは心のどこかにしまう。
情報幾何学では、空間の形を「感じる」ことが大事らしい。子どもたちは、そういうのを肌で知っているんじゃないかと思う。何かの理論とか、名前とかではなく、ただ目の前の世界を感じること。「Don't think. Feel!」。その手のひらの感覚、視聴覚の感覚、匂い・味覚の感覚こそが、いちばん確かなものなのかもしれない。「学び」って、きっとこういうことなんだろうな、と思った。