第五話「感謝を覚えるとなぜ奇跡をおこせるのか」
皆様こんにちは松﨑健太郎です。
いつも見て頂いてありがとうございます☺️
前回は、苦しむ自分がどう壁を乗り越えたか
「壁の乗り越え方」について書かせて
頂きました。
今回は実践編第二弾感謝の凄さについて
書いてみます。
21歳で創業し、ご飯が食べれない時、
じいちゃんのお墓行って
「何とかご飯食べさせて下さい」
とお願い毎をする為によく行ってました。
じいちゃんとの思い出は、小学生の頃
朝五時位に起こされ、「行くぞ」と
良く農家さんの家に連れてかれました。
朝五時なんで、農家さんも起きていません。
「じいちゃん寝てるね」と自分が言うと
「大丈夫だ」と言い、真っ暗な家に入り
電気を付けて勝手にお湯を沸かし始めました(笑)
その内農家さんが起きてきて、そーっと
ふすまを開けます。「何だ松﨑さんかよ」
農家さんも恐る恐るふすまを開けたんですが、
じいちゃんも「何だまだ寝てたのかお湯わかし
といたぞ」と(笑)
じいちゃんは、米を買い付けてくる「買い子」
をまとめあげ問屋に売るための
親分みたいな仕事をしてました。
何が凄いって、腹巻きにいつも札束が入って
るから、農家さんがみんなお金を借りたがり、
しかも、じいちゃんメモ残さないから貸した事
も忘れるんです。ある時自分が「あの人にお金
貸しててまだ返してもらってないからね」と
言うと、自分の手をぎゅっと握り「黙ってろ」
と!!(゜ロ゜ノ)ノ
えっじーちゃん知っててやってたの(笑)
絶対忘れてるのもあると思いますが(笑)
朝方、勝手に家にあがり込みお湯沸かそうが、
じいちゃんの器のでかさというか何というか、
ある程度何しても許される凄い信頼関係を
築き上げてたんだなと。
本当、人として憎めず愛されてたんだろうなと、
小さいながら俺もこんな豪快な商人に
なりたいと思ってました。
話大分それましたが、そんなじいちゃんの
墓に、相談というか、何とかしてくれるんじゃ
ないかという思いで、辛い時本当良く行って
ました。
しかし、当時の自分は、
じいちゃんの墓だけじゃなく、
神棚から神社まで全てお願い毎ばかり、
しかも、叶わないとなぜ
一向に良くならないんだと、文句を言う始末、、、
そう些細な成功や達成では、満足出来ず
今思えば、いつも飢えてる状態でした。
これが、ある時激変します。
ある勉強会で発表されてた、醸造メーカーの
社長さんが、「いやぁ~毎日感謝感謝で
日が暮れますわぁ~」と語っておられました。
最初感謝なんていつもしてるよと
思って聞いてたんですが、、
続けて
「神棚でしょ。ご先祖様でしょ。お取引様に、
家族に、社員に、お客様に、更に、、、、」
ん?
ここで自分気付いたんです。
自分お礼参りしてないわ
お礼参りも出来ない若造に、誰が手を貸して
くれるかよですよね(笑)
成り立った事は自分の成果
成り立たないのは他人のせい
典型的な群れから突き落とされる狼の様
一人で突っ張り、意地を張り、
下手したら噛みつき、どんどん孤立して
しまう。
やはりご飯が食べて行けるのもみんなのお陰、
自分が存在するのも親や先祖が居てくれたお陰、
仕事をさせてもらえるのも、家族の応援や、
社員、お取引業者、お客様、資材業者、運転業者、
デザイナー、銀行、行政、農家さん、、、、、
これは確かに「感謝感謝で日が暮れるわぁ」と
思いました。
今自分は、10年続けてる日課があります。
寝る前に、それぞれお世話になった方々や、
様々な守り神、そして先祖に、
その日無事過ごせた事を、
全てに感謝をのべてから寝るようにしてて、、
中々続かない自分がこれだけは、
10年続けてます。
社員さんにも、社長は様々な奇跡を起こしますよね
と良く言われます。
「いや違うんだ、様々な方々が応援してくれてるんだ
本当感謝だよね」
追伸
じいちゃんに付いて行く度に
小学生には、大金過ぎる
聖徳太子の一万をくれました。
大人になるまで使えず、
苦しい時一枚一枚使った話は
またの機会に、、、
じいちゃんありがとうね☺️
次は、夢の持ち方について
話てみたいと思います。
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