新宿の底深くで、すべてにOKを出した夜
2023年7月13日(木)🌘20.9 ☁️4:35-18:58
24:小暑 72:蓮始開(はすはじめてひらく)
どれだけ天気予報に雨マークがついても、大田区はまったく雨が降らない。少しはざっときてほしい。
一昨日前からひどい鼻炎に見舞われている。真夏にこんなことは初めてだが、どうやら私だけではなさそうだ。
昨晩、ZeppShinjukuにceroのライブを観に行った。アルバム『 e o』リリースツアーの最終日。
久しぶりに足を踏み入れた歌舞伎町界隈は、SFの終末都市のようでひたすら怖かった。よくリキッドルームにライブを観に来ていた頃の、ローカルな柄の悪さとは別の次元に行ってしまっていた。人の感情が見えない。そこに聳え立つ新宿バビロン、歌舞伎町タワーは、もはや悪ノリでディストピア感を助長するために建てた気がしてならなかった。
ZeppShinjukuのステージと1階フロアは、地下4階に位置する。赤い階段を深く深く潜っていく。途中、狭くもある。私は、ドアが開くと強風が吹き込むZeppDiverCityが恋しくなった。もとより日中37℃の仕事帰り、体調がよいわけがない。ふらふらする。足がつりそうだ。
またも私のそばには距離感のおかしな客がいた。けっこう歳のいっているであろう男性で、私の真後ろにぴったりつけ、近い近い近い! と思ったらいつのまにか半身を私の横にねじ込んでいて、気がつけば隣にいて手すりをつかんでいた。もともと私の隣にいた女性もその男のせいで横に押しやられていた。ライブ会場とはいえ、人が必死で確保したパーソナルスペースを犯す人間が許せなかった。私がちらちら見ても、石のように感覚がないかのようだった。私は、知能に異常がある人なのだと思うことにした。
私が閉所で苦しい時、そこには常に怒りがあるのだと思う。なぜ私がこんな閉塞感のある場所に留まらなければいけないのか。私はもっと自由であるべきなのにと、いう怒りと、人生へのままならなさが、危険ではない空間に恐怖を誕生させる。今すぐ地上に上がって外の空気を吸いたい衝動にかられる。
開演してしまえばゾワゾワとバクバクはおさまるとわかっていたので、それまで気を紛らわすために、安達茉莉子さんの「むき身クラブへようこそ」をスマホで読んでいた。本当に、このかたの文章とテーマは、僭越ながら「私が書きたかったこと、ぜんぶ先に書かれた…!」と思わせる(そうして、そう思っているのは結構な人数いると思う。つくづく、なんでも書いたほうがよいのだと思う)。
自己に向けた厳しさが他者に向く、つまり表に出るところまで来てしまった。これはまさに今の自分ではないか。
読み終わる前に私はこんな境地に至っていた。この空間に怒っている私はOK。隣人に苛立ちを抑えられない自分もOK。危険でもない状況を怖がっている自分でもOK。電車もクルマもまともに乗れなくてOK。なぜならそれは、私が鋭くて、ほかの人にはないものを持っていて余りあるから。
人の役に立たなくてOK。もう、誰一人の役に立たなくてもOK! お金が稼げなくてOK。人の稼ぎで生きてOK。もらってばかりでOK。
中途半端で何にもなれなくてもOK。ちょっとやってみたことがなんの実績にもならなくてOK。「あっ、これ先に書かれた!」と思いながら一生を終えてもOK。
友達がいなくてもOK。同僚と雑談できなくてもOK。人とうまく付き合えないのは別に私が悪いわけでない。自分の特殊な経験と周囲との差のせいで、もうそれは仕方がない。人当たりが悪いわけでも好戦的なわけでもまったくない。そして誰の記憶にも残らず死んでOK。その日のためにもOKを出す。自分が生きていることにOKを出し続ける。
2時間たっぷりおそろしくクリアな音を浴び、ceroにはめずらしくラフなアンコールに「肯定」を感じながら新宿バビロンを出た。うつろな目のトー横キッズをかすめ、靖国通りに出ると、ユニカビジョンを暗いニュースがかけめぐっていた。ヒッと声が出た。
私は生きづらい。心も身体も。繊細である。鋭敏である。非常に疲れやすい。仕方がない。だから私は全力で自分の頭を撫でて生きていく。それは、急務であると思う。