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たった一泊の旅が楽しみすぎる普通の日記

2023年7月25日(火)🌓7.4 ☀️4:43-18:52
24:大暑 72:桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)

ここのところ、気合いを入れた文章ばかり書いていたので、ずっと普通の日記が書きたくて仕方なかった。

夕暮れ時はいつも何か書きたい。けれどまだまだ雑事が残っていて、それが終わったら、と思っていると夕飯の片付け後になり、その頃には満腹だし眠いしもう何もかもどうでもよくなっている、の繰り返しだ。

クルマの運転ができそうな見通しがついたところで、私の八方塞がり人生に風穴が開いた。発病により公共交通機関の自由を失ってから13年、やっと、やっとひとつの穴があいたのだ。

最近仕事ではタウン誌作りの手伝いと、教育系の書籍の校正をしている。苦は何もない。日々暑いけれど、職場におしゃれをして出かけるのは楽しい。ほかの女性社員はみな小さい子のいる母親なので、おしゃれらしいおしゃれをしている人なんかいないが、人と違うことになんか昔から慣れきっている。そういう私も別におしゃれらしいおしゃれをしているわけではないが、ジーンズを履くようになって楽ちん第一主義からは脱した。

今日は家事の日。大田区の気温は34度くらい。内陸ではないのでたぶん東京の中ではかなり涼しい。洗濯物はあっという間に乾き、15時には取り込んで畳んで終了。
夕飯に肉味噌を作った。これを青梗菜にかけて食べる。料理が苦痛で仕方なかったつい最近までは、1品つくるごとにぐったりして休憩が必須だったので、2人分の夕飯を作るだけでなんと3時間かかることもザラだった。それが、今日はこんなふうにPCに向かう時間ができている。つくづく、作りたいものしか作らないマインドというのは大事だ。あとは、魚と冷奴とぬか漬け。味噌汁を義務のように作るのをやめた。

「恐怖でバクバクしている自分を観察して楽しんでみよう」が、最近の電車に乗る時のマインドだ。これは決して投げやりなポジティブ思考ではなく、メタ認知なのだと思う。
最近は東急の乗り入れが複雑になったからか、電車のダイヤの乱れが本当に多い。先日もある駅の手前、地下で信号停止した。
信号停止に遭遇することが増えたことで、そうめったに長く止まるということもないのだとわかってきた。おおむね、すぐ動き出す。要するに、少し慣れた。閉じ込めも短ければ大丈夫になってきた。長くかかりそうだったら、パニック起こしつつその時なんとか考えようと。もしくはぶっ倒れるなりして周りに助けてもらおうと。

べしっ

今週末、久しぶりに大好きな清泉寮へ行く。昨年のGWに北海道へ行ったのを最後に、旅行は金沢(つまり帰省)と京都くらいしか行っていないし、これからもよく知った場所だけでよいのではないかと思っている。新しい場所へ行く気がほとんど起こらない。
猫を飼い始めたこととは実はあまり関係ない。家の中や着るものなど、日々の生活と楽しみにお金と労力を使いたいのだ。

清泉寮は4年ぶりだろうか。八ヶ岳エリアも金沢と同じで、何度行っても新しい店や施設ができていて、なおかつ再訪したい場所もたくさんあり、飽きることがない。
まだ旅までは3日あるのだが、もうコンタクト洗浄液や(この用意が一番めんどくさい)、化粧品のサンプルなどを用意し始めた。
クルマの運転は、高速に乗る前までは私がする。あとは心おきなく人の運転に乗っかる。帰りの都内はたぶん夜なので運転しない。なんて気楽だ。楽しみだ。ざっくりと夏のプレイリストも作ってしまった。サニーデイ・サービスの『Sunny』と古川麦の『Xin』は絶対必要だ。

サービスエリアで飲むコーヒー。宿までの簡単な一本道。林の中の礼拝堂。たくさんの大きなパン。霧の中の鹿の群れ。夜の清里の廃墟通り。虫の声。しんとした和室でひとり行うヨガ。ロビーの暖炉の前で広げる星野道夫の写真集。夜更けに大浴場まで歩く廊下。永遠に続いてほしい高原の朝。わらびもち。蕎麦。車中の手持ち無沙汰な時間。「新宿まで100km」の看板。車中から眺める東京の光の川。

「帰ってきたら何を楽しみに生きたらいいのだろう」と思うくらい楽しみにしている自分にやや引く。3日後の前の明後日だって明日だって大切な日だというのに。

だけど今までの私と違うのは、なんと、私だけの力でサービスエリアへコーヒーを飲みに行ける日も近づいているかもしれないのだ。まだ信じられないし、いちいち思い出さないと忘れてしまう。が、道路に書かれている文字や矢印の意味がはじめて読み取れたいま、46歳にして世界は今までと違って見える。

今日も明日も引き続き、自分のすべてにOKを出す。




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