ルーティンは2日に分けて
2023年5月10日(水)🌖19.9 ⭐️4:41-18:35
24:立夏 72:蚯蚓出(みみずいずる)
小松の滝ヶ原という場所を今回の帰省で初めて知った。実験的ユートピア。写真の蔵はワインバーになっている。
毎日ルーティンがいっぱいある。
瞑想を最優先したいところだが、身体の凝りや痛み防止のために、ヨガやストレッチのほうを優先することも多い。
(ヨガやストレッチをしていてえらいね!と人から言われることがあるが、そういう人は身体の凝りや痛みにあまり悩んだことがない幸運な人なのだろうと思っている。毎日マッサージに行ける財力でもない限り、やらざるをえない)
そこに仕事と日々の家事と猫の世話が加わると、もう、「仕事と家事と身体のメンテナンスしかしていない…何のために生きているんだろう…」と、すぐに気が滅入ってしまう。
noteのように、週2回くらいは書こうと決めたこともある。
そうすると、もう本も読めなければ洋裁もできない。アルバム1枚をしっかり聴くこともできない。
いや、かっこつけずに言えば、スマホのを単純ゲームをしたり、何時間も水曜どうでしょうの録画を消化したいような日だってあるのだ。
しかし、日々のルーティンごとを、「今日は比較的時間があるからちゃんとやろう」と優先していると、ほかのことが何もできなくなり、いろいろと、生きることの本末が転倒しているような気になる。
ということで思いついたのが、「48時間を1日としたら、あらゆるルーティンがだいたい毎日できるのでは?」ということだ。つまり、2日でひととおりのルーティンを行う。
ということで、昨日しっかりめに瞑想をしたので、今日はあえて瞑想の時間をとらないと決めている。
習慣化しようとしていることをお休みする場合は、1日の終わりに「あー、今日はできなかった」という結果にするのではなく、
「今日はほかのことを優先するから、それをしない」と積極的に決めるのがよいらしい。
なるほどな、と思う。精神的にもそのほうがよいし、結果的に長続きにつながるかもしれない(あさイチ情報)。
ただ、瞑想だけは「短くてもいいから、できるだけマメにやる」ことが一番よいと聞くので、「今日しっかり時間をとって20分座ったら、次の日は洗い物や歯磨きをマインドフルに実践することのみで瞑想に代える」というふうにしようと思っている。
コーヒーを淹れる合間に5呼吸だけすごく意識して行う。そんなふうに。
さて、どうなりますか。しばらくこんな感じでいきます。