初めて「急行」の赤い表示を見ても何も感じなかった
2023年4月23日(日)🌘2.9 🌤4:59-18:20
24:穀雨 72:葭始生(あしはじめてしょうず)
なんと日の出がもう4時台。今年はいまのところ早朝覚醒には悩まされていない。猫が夜中にトイレの砂をザッザッとしても起きていないようだ。
寒暖差によってメタメタになった自律神経や、風邪気味の喉も、昨日からゆっくりしてようやくラクになってきた。
以前も似たようなことを書いたが(買い物帰宅後の儀式に時間がかかりすぎる件)、体調が悪いと、普段なんとなく義務感でちゃんとやっているさまざまなこと、例えば帰宅してレシートを財布から取り出し記録し、捨て、買ってきたもののパッケージをはずして、捨て、所定の場所に片づけ、バッグから荷物をすべて取り出して、明日使うバッグに移す、等のことが、途端にしんどくなってくる。
ちょっとした拍子で、人はゴミ屋敷に住むことになる。本当にその瀬戸際で、なんとか正気を保って生きているのではないかと実感する。
真南の光は最近見ない。どうしよう(夕方、真南に輝く謎の光を追って自転車に乗る日のために)。
さて、最近このnoteは
「パニック障害の名残で重い閉所恐怖が13年間染み付いてしまった40代半ば女、日々のちまちまマインドフルネス瞑想によって、少しずつ変化が起きていく日記」
になっています。
それが1日10分ほどの、いまいち手応えないままの瞑想の効果なのか、毎度よくわからないのだけれど、最近変化がかなり起きている。
仕事帰り、これまでの私は、駅の電光掲示板を見て、今から乗る電車がたまたま急行だと分かったとき、ドキッとする。急行、ちょっと怖い。かといって、やりすごして各駅停車に乗るほど怖いわけではないし、そんなことやっていたら永遠によくならない。逃げちゃだめだ。
あの赤い「急行」の文字を見るたびに、1秒ほどの間にざわっと自分の中でせめぎ合いが起きる。そして、ほんの少し各駅停車より多めの勇気を持って電車に乗り込む。
ところが先週金曜、仕事帰りに乗ろうと思った電車がたまたま「急行」だったのを見て、胸がまったく騒がない自分がいて驚いた。
ものすごく小さな駅ひとつとばすだけの急行でも、いまだにドキッとしていた私が、まったく平気だったのだ。乗り込む時も何も心の中に波は立たなかった。勇気は何も必要なかった。
つい先日も書いたが、「私はこの空間に長くいてはいけない身なのか? いやそんなことはない」という小さな反語が自分の中に自然に降りてくるようになった。
このマントラは、状況を選ばない。窓が開いていようが閉まっていようが、地下だろうが地上だろうが、新幹線だろうがビルの上だろうが、今乗っている電車がぶっとばしていようが徐行していようが緊急停車していようが、これは普遍の問いなのだ。
「あなたはここにいていいよ」なんて、あまりにもありきたりなセルフコンパッションだし、「自分を受け入れたら恐怖がなくなりました!」なんて、そんな単純なものではないことは13年間うんざりするほどよく知った。まるでインナーチャイルドを癒せばすべての問題が解決するかのような、短絡的で幼稚で、あまりに都合がよい考え方で、もしこれを人に押し付けられたら私は全力で否定し、全力で逃げるだろう。
が、どうやら自分の脳内で、前頭前野で、メタ認知が多少育ったようなのだ。そうとしか考えられない。あんなお粗末な瞑想で? いまだに歯磨きしたことを自分で忘れるし、ちっともマインドフルネスになんか生きてないよ? これも書きながら毎度のように焦っているよ?
という声を脳内の一方で聞きつつも、まあそれでもがんばったはがんばったのだから、その褒美は受け取っておきましょうね、とも思う。
どうなるんだろう。このまま治っちゃうのか。こんなこと書いたら治らなくなりそうだな。
治ったら治ったで、34歳から46歳の時を棒に振った自分が哀れで絶望的になるのだろうなあ、とも思うし、いや、この13年間無だったわけじゃないことはよくわかっているよね?とも思う。
来月は久しぶりに新幹線に乗る。さて、今年が終わる頃、私はどうなっているのだろう。