年をとると生活を楽しむほかないのかもしれない
2023年2月12日(日)🌖21.3 🌞6:32-17:19
24:立春 72:黄鶯睍睆(うぐいすなく)
今日は雑記。
おとといの雪予報の日はサニーデイ・サービスのライブ。雪が降っていたら行かないつもりだったが、ただの雨だったので行った。ロックを座ったまま大量に摂取してなお最高。長らく軽い鬱状態だった私をゆさぶってくれた。ネタバレするが、2曲目の「魔法」で泣いた。「月光荘」「花火」の流れがすばらしかった。「雨が降りそう」は今の自分にぴったりだった。
サニーデイのライブは毎度不思議で、音源とさしてアレンジが異なるわけではないのに、ロック度が音源の10倍くらいになる。ライブ盤がたくさん聴きたい。曽我部さんのサイン入り著書は買えなかった。おいおい読む。
今さらながら『RRR』を観に行ったほうがよい気がしてきた。そして、『COMPARTMENT NO.6』も観たい。
めったに映画を観ない。2〜3時間を捧げてつまらなかったら、ひどくがっかりするから。なので、筋を追わなくても良さがある程度確約される、音楽ものや映像美ものだけ、たまに観る。
トイレにドライフラワーを吊り下げ、朝からおしるこを作る。手始めに無印の発酵ぬかどこから、ぬか漬けを始めた。半日漬けただけの大根もにんじんも美味しい。これで手軽に毎日野菜と発酵食品が一品摂れる。
ホットケーキミックスと板チョコでブラウニーを焼く。1時間もかからない。
遠くには出かけない。できればあちこち出かけたくないのだ。家の近所の海辺を散歩するだけで週末が過ぎるならどんなによいだろう。が、海は遠いので、近くの大学の校内で梅を見ながらコーヒーを飲む。
仕事で目指すことなどなにもない。子育てもしていない。父母はいまのところ元気だ。親の近くには兄姉もいる。
私が願うことは、電車や車にできれば自由に乗れること、できればもう少し広くて快適な住まいに暮らすこと。
ただ、それだけだと張り合いがないのも事実。何せ子供のころから、ずーっと目標を立ててそれに向かってがんばる人生だったのだから。2年くらい前に、ようやくそれが終わった。正直なところ、今の私は脱力感で鬱になりかけている。かといって思い切ったことができるほどのまとまった時間も体力もない。
となるとやはり、生活の中の小さいことから楽しんでいくほかない。
テレビをなんとか壁にかけて、そこにレコードプレーヤーを置きたい。靴とリュックとウェアを買って、近場の山くらいはひとりで歩いていけるようになりたい。まずは高尾山。
今家にある本は、内藤礼『空を見てよかった』と、安達 茉莉子さんの『私の生活改善運動』、あとちょっとずつ読んでいる『富士日記』。『私の生活改善運動』はとても売れている気配。類書がありそうな気がするけれど、やはり知性に裏打ちされた説得力があるのだろう。スカスカな「ていねいに暮らす」本ではないものが評価されているのは、なんだか希望が持てる(まだ拾い読みしかしていないんだけど)。
いっぽう、発売中のPOPEYEを手に取ってみたら、その薄さにびっくりした。あの、頭に落ちてきたら死ぬくらいの、分厚い、みっちみちの情報量はどこへいったのか。
ああ、もう雑誌は死にかけているのだね。みっちみちのバックナンバー、きっと歴史遺産になるから家にあるやつを大事にしよう、と思った。
とはいえ、オリーブって薄かったけど情報量すごかったよね。なんとかならないものか。諦めるだけでよいのか。いちおう編集者、出版人じゃないか、私も。などと考える。