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13年目の曝露。「めちゃくちゃ怖い」と「大丈夫」の両立

2023年2月23日(木・祝)🌜2.8 🌥6:19-17:30
24:雨水  72:土脉潤起(つちのしょううるいおこる)

日没がとうとう17時半になった。夫は明日ようやく日本に戻ってくる。
5日前まではあんなに寂しかったのに、今はもう、この家にもうひとり人がいるだなんて「ぎゅうぎゅうじゃん!」と感じる。

一昨日の火曜日、渋谷のIKEAにはじめて行った。都市型IKEAの中では品揃えがよいらしい。
いくつか見たいものがあったのと、平日の空いている時に、レストランを利用してみたかったのだ。

東横線の渋谷駅手前が苦手である。得意なひとはあまりいないと思う。
まあ深い。どんどん潜る。
たまたま来た東横線が特急Fライナーだったので、ちょっと気が重いながら乗った。
特急は前の電車と近づきすぎることがあるからなのか、渋谷の前の停車駅である中目黒の手前で最徐行した。これは以前にもあった。
となると、渋谷駅の手前でも徐行や一旦停止をしてしまうのではないか…と心臓がバクバクし始める。こちらは地上だが、あちらは深く真っ暗な地下だ。
中目黒での短い停車時間に猛スピードで思考をめぐらす。各駅停車に乗り換えるべきか?

このような時、私は逃げないことが多い。逃げたら負けだと思うからだ。
で、結局「一刻も早く着け!」と祈りながら、何の達成感もなく怖い思いだけをして、電車の旅を終えることになる。

ただこの日は違った。体調がわりとよい。呼吸も深くできている。車内の雰囲気もよい。すでに心臓がバクバクしているが、なぜか、何があっても絶対に戻ってこれる、と思った。私はそのままFライナーを降りなかった。

渋谷駅手前では特に徐行することもなく到着した。いつもどおり、ぐーっと下る(曲がる?)ところまではゆっくりめ、そこから一定のスピードでホームへ向かっていった。
その間、私はやはり怖かった。しかし、「めちゃくちゃ怖い」と「でも大丈夫」が両立していた。こんなことははじめてだった。
電車がスピードを戻す時、いつもなら「助かった」と思うのだが、この日は思わなかった。どちらでもよかった。

「なるべく怖くなりませんように」を手放した瞬間だった。
怖くてあたりまえなので、できるだけ背骨を動かしたり吐く息を長くしたり、という、ごくスタンダードなコーピングをしていた。
あっ、これが本当の恐怖突入であり、曝露療法であり、アクセプタンスなんだ、と思った。
13年間、なるべくやろうやろうと思い続け、逃げずにやってきたつもりで、できていなかったことを、やっとできたという手応えがあった。

今までと何が違ったのか、よくわからない。
でもおそらく、やっぱり、日々の瞑想の積み重ねによる何かしらの受容(メタ認知か?)が起こったのではないかと思う。
瞑想の効果は、ツボの刺激なんかと同じで、直接期待していなかった形で現れる。なんならその要因に気づかないことすらある。
そしてたぶん、皆それぞれ違った現れ方もする。

まあ、「なんか今日手応えがあったかも!」と思いつつ、すぐに逆戻りしてばかりの13年間でもあった。
ただ、今回は本当に、なんか変わったと思う。
停車恐怖を乗り越えるには、しばらく電車に閉じ込められて、ピークアウトを経験するしかないと思っていた。
が、違った。
ピークアウトがなくとも、曝露して、自分の身体に起きることを受け入れられた時に治癒がすすむ。

とはいえ、どうしたらこの状態に入れるのか、人に説明するのはとても難しい。
なにしろ私は10年前、日本のマインドフルネスの権威である熊野先生の指導を受けるなか、「本当の意味で恐怖を受け入れられていない」と再三言われ、「でもどうすればいいっちゅうねん!」をずっと心の底から叫び続けてきたのだから。

結局、「呼吸がちゃんとできるから大丈夫」ということなんだろうか。この言葉だって13年間自分にずっとかけてきたのに、なぜ今回だけリアルな「大丈夫」になったのだろう。不思議だ。

達成のベジボール

・ただ、この「恐怖症」は不安発作とは別のものなので、本当に不安発作が起きた時はどうすりゃいいべな…などとすでに考えている
・「何で怖いんやろなあ」も一定の効果が出ている
・扁桃体の誤作動にはやっぱり新しい刺激を入れること&言語情報を入れること。それは「ごまかし」ではない
などなど、また書きます。


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