読書が必要だった
2023年3月19日(日)🌘26.8 🌤5:47-17:51
24:啓蟄 72:菜虫化蝶(なむしちょうとけす)
本格的な風邪に発展しないものの、なんとなく腹を下したりへんなにおいがしたり寒気がしたり、頭が締め付けられたりするような「風邪気味のフルコース」の最中にいる。
ヨレヨレになりながら台所に立ち、ひと通り終えて布団の中で読書をしていた。
とても読みたかったのになかなか読めていなかった、安達茉莉子さんの『私の生活改善運動』。
ライフスタイル系エッセイかとおもいきや、文章がものすごく上手い。題材にひかれて手に取ったのに、文章に引き込まれた。日々の中のかすかな妥協と違和感、小さいけれど生活を活気づける人とのつながり。それらの感情と情景が手に取るように描写されていて、驚くほどだった。
私も文章を書くのは好きだし、それを仕事にもしてきたが、決定的に後ろめたく思っていることがある。それは、子供の頃から現在まで、それほど読書が好きでもないということだ。
明らかに活字中毒ではある。が、「本」を味わってきたかというと、かなりお粗末な読書経歴しか持っていない。幼少時から現在に至るまで、ほおっておくと、雑誌やネット上のテキストを摂取するばかりになる。そして、自分の限界はそこにあるような気が薄々していた。
本を読み他者の心と生活に降りていくと、むしろ心は開く。そして、その文章を吸収するのと同じように、自分の日々の中のから多くのものを吸収しだす。
まさしく生活改善運動とばかりに、最近の私は無印良品で大きなシェルフを注文したばかりだった。ずっとだましだまし使っていた、パルプ製の棚を毎日目にするのがつらくなり、いよいよ木の棚にするのだ。結婚して15年、じわじわと私を憂鬱にさせたり、言い訳を発生させたりしていたパルプの棚。
糠床を持ち、レコードプレーヤーを再び使えるように画策し、noteを書くことを課し、日々の瞑想を課し、どうしようもない日々を
なんとかマシに変えよう変えようとしていたこの数か月。
けれど、何か大きく心が動き出さない、いつも気持ちがずんとした場所に戻ってしまうのは、インプットは慌ただしく中途半端、アウトプットも自分へのミッションのように課してこなしている状態では、心と人生とがダイナミックに動かず、小さな自己の中でぐるぐるまわっているだけだからなのだった。
そうだ。46歳、いまの私には読書が足りなかった。
たぶんそれが外への世界を開くだろう。