MATERIALGIRL?

フィクションでもノンフィクションでもありません あとは映画や本のこと

MATERIALGIRL?

フィクションでもノンフィクションでもありません あとは映画や本のこと

最近の記事

ガタカ Gattaca

良い映画に出会ったあとはどっと疲れる。 今回は完全に全身の力が抜けて軽く放心状態 心と頭がまだ映画の世界に浸っていたいと騒いでいて〜 しばらくソファから動けなかった。 わたしは昔から無機質な美しさや空間美が凄く好きで 箱根のポーラ美術館や沖縄の鍾乳洞も一生忘れない産物になっている。 ぱっと思い浮かんだのは、 SF映画のエクス・マキナも 無機質な美しさでは記憶に残っている。 だけれどより近代的気味だったなぁと 1998年に生まれた「ガタカ」を観て思い返した。 この映画がこ

    • 怪物 Monster

      迫り来る緊迫感のあとにくるゆるやかな解放 前半戦、現代を生きるうえで物事や出来事の目に見えない「何か」を予想し、何かがあるのか、何のためなのか、何をもってなのか、「何」について考えて生きていく自分そのものが、緊迫感と共に映画館の椅子に前のめりに座っていた。しかし、気がつけばいつの間にか解放された穏やかな心で、まるで子供に戻ったように映画館の椅子に力が抜け深く腰掛けていた。 この映画の最後になるにつれて何かがほどかれていき、自分が童心にかえっていくように映画のスクリーンを見

      • 自分の機嫌は自分で

        「いつもご機嫌でいる」 わりと一番の強みだった。 ここ2年程、大切な人の前だとそれが難しい。 涙がポロポロと止まらなくなることがある。 泣きじゃくろうと思った瞬間、 どうしようもないくらいの感情の塊が出てきそうで 怖くてできない。 ただ見えるのは心の中の真っ黒い点で 漠然としたとも言えるような 得体のしれない涙がポロポロとこぼれ落ちる。 感情のタンクの容量限界値を突破して 内側からぶっ壊されたように そうだ、これしよう 【活字に触れる】 気分が落ちそうなとき、もしくは

        • エゴイスト

          普遍的な愛の映画。 普遍的な愛が映画だからこそシーンになる。 本来、自分自身だと本能的な愛が 思考的になる。 心がすごく動いた映画。 日付が変わったのにまだ心が重たい。 其々のエゴが愛にかかるとは愛は愛でなくなることもある。 甘く甘く熟した桃があって 夏みかんを食べた後に食べる桃と、 クッキーを食べたあとに食べる桃。 同じ桃でもこんなにも変わってしまう。そんな感覚。 色々な角度から見える愛 見える数だけ愛もある。 浩輔が龍太に封筒に入ったお金を渡し瞬間からエゴが広

          Call me by your name

          2023.02.12.Sun/daytime 淡く、美しい映画だった。 エンドロールを終えた途端、涙が止まらなくなった。 溢れ出ていく涙の感覚。心が重たくなる。 同棲愛の脱犯罪化が進む国もある中、エイズが「ゲイの疫病」と表現されたり、同性愛への様々な思想が渦めいて世界が動くようになる1983年代のイタリア北部が舞台。イタリアではまだまだ厳しい目が向けられていた時代だったのだろう。 エリオとオリヴァーの美しく淡い夏の思い出が イタリアの美しい自然や街並みと共に刻まれていく

          Call me by your name

          若さは美しさだけど美しさは若さじゃない

          疑うことを知らなかったあの頃に戻るとするならばと考えたことはたくさんあったけれど 疑うことを知らない時代に信じることと、疑うことを知ってしまった時代に「信じる」こととは天と地の差だ。 あの頃のわたしにはその無邪気な信じるは無意味ではなかったが、今の私にとっては無意味であるような気がする。 胸が張り裂けそうだ ただ信じてただ愛おしく思いたい 信じる強さを教えてもらったよ わたしはどうしようもなかった今までを思い起こす あと一歩出すのが遅かったかもしれないと思ってからの一

          若さは美しさだけど美しさは若さじゃない

          花言葉から

          節制・アザレアそうだな、いつだっけ。自分との付き合い方がわかった時とそれが上手く出来ないことに気づいた時の陥落とその陥落に構えるようになった時。そうだね、結局わたしは誰かを想うことを諦めてしまって、想われることからも自ら離れてしまって、でもそれは自分が可愛いからで、何も言い訳できないでしょ? いつだって傷つくのが怖いしただ面倒だなんて簡単なことばでなら説明できるけどこんなのでは理由を伝えきれない。だってそんな薄っぺらい人間だと思われたくないもの。そう、大切な人の前でほど自分

          いつかの下書き

          どうしようもないことは たくさんあると思った。 これが愛なのか何なのかもわからなくなって虚しい。 愛は何かなんて一生見つからない、見つけようともしない答えなのに 今宵も心を締め付けられて眠れない 涙も出ない 心がどんどんなくなっていくような気がして あぁ心が齧られていく感覚はこんな感じだったけ。 食べたい心もなくて 食べられてくる心だけはあって ぷしゅーぷしゅーって 心に空いた無数の小さな穴から 愛という名ため息がでていくよ いや、これが愛だと呼びたい

          いつかの下書き

          朝日が光った

          朝日が光った 煙草の煙を吐いても何も生まれないと唾を強く飲み込んだ時、もうどうにでもなれと思った 秋の風はまだ優しくて 夏の思い出を忘れないでいてと そっと身体をなぞる あぁこんな気持ちで良かったっけ あぁこんなに夏が終わるのが寂しくなかったっけ 夏への復讐か 秋への期待か あぁこんな生き方だったっけ 虚無をも愛して生きてきた 太陽で海が光った あぁ涙だったっけ

          朝日が光った

          HikaruUtada

          初めて自分のお小遣いで購入したCDは 宇多田ヒカルのHEART STATION だった。 好きなアーティストとかいる〜? と聞かれて宇多田ヒカルと答えたら 「first love」のような淡いラブソングが好きなんだなぁ と心の中で思うだろうと感じる人に は宇多田ヒカルって言わないようにしてた 尖った時期もあったっけ 18歳が書きおろしたとは思えない繊細な歌詞の「first love」ももちろん好きだけれど。出産を経てから歌う「first love」との聴き比べも素敵だし。

          思ってたようにはならない

          「パパ、わたしおけしょうなんてしないからね!」 幼い頃、母の支度を待つ父の顔を見てはこう言っていたのを思い出す。 毎朝、傀儡の様に鏡の中に映り込む自分の顔への施しを考える日々を一体誰が想像できただろう。 「はやくハタチにならないかな~」 19歳のわたしが一目惚れした相手に、「妹みたいで可愛いな」と言われたあの時の儚さも今ではちっぽけで、20歳を過ぎてからも、あの人がいる六本木のクラブに行くことはなかった。 あなたの創る音楽は素晴らしかったけれど。 小学生の頃に思い

          思ってたようにはならない

          境遇

          24歳を過ぎた頃から、人の境遇を考えて咀嚼しながら生きることが事が多くなった。 親をひとりの人として分析するようになったのもその頃。大人になるということは、親をひとりの人として受け入れるようになることもひとつかもしれない。親の家庭環境が取り巻いた過去やトラウマを把握し、理解し、どんな愛情を受けた親が自分にどんな愛情を注いでくれるのか。 大人と言えば子供の話で 幼少期のクリスマスは何を頼んでも、必ず本が1冊以上紛れたプレゼントが枕元にある境遇で育った。皆が持っていたゲーム機