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歩き始めた一年生…川柳という底なし沼

川柳との出会い

川柳と出会ったのは一昨年の秋、こんな御時世なんで副収入はなんぞないかと考えてました。
仕事をしながらそれほどリスクなく稼げることって?
存外、頭も良くなくビビリなボクじゃ投資は厳しい。
そこで浮かんだのが「公募」です。
公募なら「副業禁止!」にも引っ掛からなさそうやし、引っ掛かったとしてもそれって何かしら賞が貰えてるってことですやん。
これは夢がある、そう思ってネットで公募を調べてみたんです。
短歌に俳句にネーミング、そして目に止まったのが「川柳」。
なんでかしら川柳の公募は賞金が破格やったんです。
3万、5万どころか20万ってのもありました。
これはオイシイ!だって五七五でしょ、楽勝じゃん♪
そう思ったんですが、月並みなほど現実は甘かった。

川柳一年生

そんなヨコシマな考えを引っさげて、副収入ガッポリな夢を見てたある日、本屋さんにて「月刊川柳マガジン」とゆうものを発見しました。

「こんな専門誌あるんや!」

冷やかしのつもりで購入し、全国の川柳作家さんが投句した川柳を眺めてました。
面白い!と感じたのと共に、ただの五七五ではダメだと思いました。
サイコロは振らなきゃ一も六もない…
とゆうことで早速、川柳マガジンに投句しました。
時を同じくして出会ったのが「まるせん」、
川柳投稿サイトです。
こちらにも投句しました。
2カ月たってもたいした結果が出ません。
その頃には公募のことなどすっかり忘れ、とにかく川柳マガジンに掲載されたい、とにかくまるせんでナイス川柳に選ばれたい。
そんな一心で、箸にも棒にもかからない十七音を生み出してました。

十七音の海にもがいて

川柳は俳句と違って季語がいらずに、自由なので誰でも作れます。
大嘘です…自由ゆえに難しい。
目玉焼きも料理のうち、ただ世間様に出すとなると話は別ってもんです。
「穿ち」に「軽み」に「可笑しみ」と、入門書やネットを漁る日々、それに反比例する結果。
そんな時に川柳マガジンの「柳豪のひとしずく」とゆうコーナーで、名句を作る人は他人の句をよく読むと仰った方がおられました。
なるほど、そういや今まで自分の句のことしか考えてなかったなと。
そして改めて皆さんの句を読むと、ぼんやりではありましたが、川柳らしくなる句のシステムがわかりかけてきました。
もちろん、名句というにはほど遠いものでしたし、相変わらず掲載されることもありませんでした。
川柳マガジンに投句を始めて5ヶ月目、そろそろ川柳は諦めてネーミングでも狙おうかと思ってた矢先、川柳マガジンの新鋭川柳コーナーに掲載されました。
「三角で出会ったヨメも今じゃ丸 
お題(まる)」
震えるほどの衝撃でした…
これで勢いがついたのか、翌月にはまるせんでもナイス川柳に選ばれました。
もうこの頃には副収入より、作り出す喜びと選ばれる喜びがボクを虜にしていました。

柳豪への道は果てしなく

どうすれば効率よくお題をもらって川柳を組み立てれるのか?
休日、図書館に行っては川柳の専門書を読んでました。
そこで見つけたのが時実新子さんの川柳。
射抜かれた感じでした。
なんて衝撃を与える十七音…
クスっと笑えるものでなく、ウマいことゆうなぁってものでもなく。
情熱的な男女と死生観と…
なんかそんな人生のどエラいもんを元気玉みたく集めて、それを凝縮した魔閃光でハートのど真ん中を射抜かれた感じ。
その頃には川柳マガジンの新鋭川柳以外にもちょこちょこ掲載され、まるせんでも入選や優秀賞ももらいました。
でも全部ひっくり返したくなりました。
自分が憧れるのは時実新子さんのような、ハートを射抜く十七音。
そこからはまるせんでのナイスが減りましたた。
でもこれは自分のスタイルを確立するためのマストな回り道、そう思って川柳を考えました。
それでもナイスに選ばれる喜びが恋しくなっては道を外れます。
その度にまるせんのピカラさんや桜餅さんの甘く切ない詩性川柳を読んで「自分はまだまだやなぁ」と一回り小さくなっては元の道に戻る日々。
道のりは険しくまだまだ果てしないのです。

愛して止まず苦しんでもがき続ける川柳

ボクは50代にして川柳一年生です。
でも川柳マガジンの柳豪たちは70代、80代…川柳においては超若手のひよっ子です。
70代の方の句は孫のことを読んだ句などがありますが、孫がいないボクにはまだその領域展開はできません。
それどころか80代の方が詠む、若き日の恋の句なんて、上質な甘酸っぱいジャムのような深い味がします。
街行くオジイやマダームを見るたびに、この人の人生からどんな句ができるんやろ…とフッと思うようになりました。
「うちのヨメもあるある」と横の世代で繋がり、「いつかこんな日が来るんかなぁ」と縦の世代が繋がる。
そんなクロスな界隈が柳界なのかなぁと思ったりもします。
この深く深く、それでいて明るいこの沼でもがきながら、右手は五・七・五と指折りながら浮き沈んでいるワタクシでございます。

ほな、次回の講釈にて_〆


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