見出し画像

【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第24話(最終話) エジプト

2005年1月25日 旅立ちから、現在 388 日目

ヨルダン南部の港から船に乗って海を渡り、シナイ半島からエジプトに入国した。
紅海は、紺碧の海と、陸に広がる紅い砂漠のコントラストがとても美しい海だった。

紅海 対岸にサウジアラビアを望む


紅海沿岸の砂漠のオアシスの村に数日間滞在して、これまでの旅の疲れを癒してから、シナイ半島南部にあるシナイ山に登った。
この山は旧約聖書の中で預言者モーセが神から十戒を授かったとされる山だ。
私は深夜に登り始め、まだ暗いうちに山頂までたどり着いて毛布にくるまりながら夜明けを待った。
地平線の先から大きな太陽がゆっくりと顔を出し、空一面が紅く染まっていく中、クリスチャンたちが賛美歌を歌いながら日の出を迎えていた。
この神々しい光景の中にいるとモーセがいた数千年前にタイムスリップしてしまうような不思議な感覚に陥った。

シナイ山 山頂から
山頂で朝日を浴びる人々
朝日を浴びてカッコつける
シナイ山の麓 聖カタリナ修道院


エジプト北東部のシナイ半島の海、山、砂漠を存分に満喫した後、夜行バスに乗って首都カイロに向かった。

中東・アフリカ最大の都市であるカイロは、近代的な新市街と重厚な歴史が積み重なった旧市街が混沌と混ざり合って活気に満ち溢れた魅力的な町だった。

ギザの台地からカイロ新市街を望む
旧市街のシタデル


国立博物館に収められたツタンカーメンのマスクや各種の財宝、ミイラなどは想像以上に素晴らしいものだったし、ピラミッドも巨大で神秘的で途方もなく壮大な遺跡だった。

くつろぐ監視員
ピラミッド遠景


だが、これまで遺跡の宝庫である中東を巡ってきて遺跡や文化財に少々食傷気味であった私は、それらの観光を足早に済ませ、その後はひたすら町の雑踏の中を歩いた。

町角の羊飼い


そして、帰国日が数日後に迫ったある日、最後に都市を離れて静かな田舎に行くことにした。

カイロから長距離バスに乗ってナイル河に沿うように南下し、旅人が誰も来ないような何も無い砂漠の小さな村でバスを降りた。
高い建物が無いその村の空はどこまでも深く青く広がっていた。


私はそこでゆっくりと長旅の軌跡を振り返った。

ここまでアジアの果て、そして世界の果てを目指して旅をしてきたが、私の見てきた場所に「世界の果て」は存在しなかった。
そこにあったのは僕がそれまで知らなかっただけの、それぞれの場所で生きる人々一人ひとりの「世界の中心」だった。

世界はひとつではなかった。
生きる人々の数だけ世界はあった。

自分を中心に世界を見ているだけでは何も見えてこなかった。

この地球上では様々な環境の中で、価値観の違う60億を超える人々(※2004年当時の世界人口は約64億人)が、ぎりぎりの均衡をなんとか保ちながら生きている。
その自分とは違った価値観や生き方を理解したい。
たとえ理解しきれなくとも、せめて知識として知り、そして尊重したいと思った。

違うから面白い。
生きるって素晴らしい。

そんな当たり前のことをこの旅は改めて私に教えてくれた。

松尾芭蕉は「奥の細道」の冒頭で「月日は百代の過客にして、行き交ふ年も又旅人也(月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎる年もまた旅人である)」と記したが、生きることはそれ自体が人生という旅なのかもしれない。

目を閉じると、そこにはいつかインドで見たガンジス河が流れていた。
あの河の流れのように、私も、強く優しく生きていきたいと思った。

さあ、日本へ帰ろう。
私の「旅」は、まだ終わらない。


2004年1月4日〜2005年2月26日  計420日間の旅


20年後の後日談 ↓


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?