【青年海外協力隊ベトナム日記 2006〜08】 第1話 出発
「青年海外協力隊」という単語を初めて聞いたのはいつ頃だっただろうか。
きっと小中学生の頃からなんとなく耳にしたことはあったはずだが、その人たちが実際にどこで何をしているのかは自分には関係ないと思っていたし、特に興味も無かった。
その頃の私は「青年海外協力隊」とはどこか遠い外国で井戸を掘ったり道を作ったりしている人たちなのだろう、といった程度のイメージしか持っていなかった。
それから時は流れ、私は美術大学の学生になり、開発途上国と呼ばれる国々を一人旅するようになった。
照りつける太陽、どこまでも青く広がる空、街の喧騒、鳴り響くバイクのクラクション、動物の鳴き声、立ちこめる屋台の湯気、香辛料の香り、路地裏の雑踏…。私はそのような世界にすっかり魅了された。そしてその中を汗と埃にまみれながらバスと列車を乗り継ぎ、次の町、次の国を目指した。
大学を出た後も仕事の傍ら、そんな旅を繰り返すうちに、私は「今までの旅の中で訪れたような場所で、これまで学んできた美術に関わる仕事をしながら現地の人たちと共に生活してみたい。自分がまだ知らない世界に接して、その土地の文化や価値観を直接肌で感じ、考え、自分の視野をもっと広げていきたい」と思うようになっていった。
旅の中では、実際に現地で活動している何人かの青年海外協力隊員にも出会った。
彼らの活動は、私が昔思い描いていた井戸掘りや道作りなどではなく、それぞれが持つ技術や知識を活かした一人ひとり違った活動だった。
現地にすっかり溶け込み、真っ黒に日焼けして、その国の言葉を使って現地の人たちとコミュニケーションを取りながら共に活動する彼らはなんだかとても輝いて見えた。
次第に青年海外協力隊に興味が湧き、募集要項を調べてみるとその中に「美術」の職種を見つけた。
私がやりたかったことはまさにこれだと思って応募し、試験を受けて合格した。
それまでの自分の軸となっていた「美術」と「旅」に「国際協力」が結びついた瞬間だった。
その時「美術」にはいくつかの候補地があったが、その中から私はベトナムの師範大学で美術を教えることになった。
そして福島県にあるJICAの訓練所で語学、諸講座などの3ヶ月弱の訓練を修了し、晴れて青年海外協力隊員としてベトナムに派遣されることになった。
2006年、29歳の夏だった。
これで2年間日本とはお別れだ。
多少の不安はあったが、これから始まる新しい日々に思いを馳せてわくわくしていた。
続く ↓