「中学受験は不安産業」は、あながち間違いでもなさそうだ
小5の夏期講習が終わり、一週間の休講を経て迎えた、塾の新学期。兄は毎日オロオロしていた。
どういうオロオロかというと、「不安100倍!」といった感じ。「ちょっとラクになれば?」と慰めれば、「自分は無能だ」と感じるようでおいおい泣くし、激励すれば、「どう頑張ればいいかわからない…」とさめざめ泣く。
何をどう言っても不安定から抜け出せず、八つ当たりまでしてくる始末で、不安オーラを浴びせられるこっちも疲労困憊。
このところ、甥っ子の誕生日プレゼント探しで、2歳児のおもちゃをチェックする日々が続いているのだが、次々に目に飛び込むアンパンマンの笑顔がやけに神々しい。助けてー!アンパンマーン!
兄の不安定は、夏期講習の冒頭から下降線を辿る成績に起因している。「苦手の克服に立ち向かわねば」という気概はあるのだが、苦手の勉強はサクサク進むわけがなく、終わりが見えずに心が折れるようだ。
まずい。兄が心の安寧を取り戻し、自信を持って勉強を進められるようフォローしなければならない。と、私もにわかに慌て始めた。実際、成績も下がっているし、今までと同じ勉強内容で良いはずもない。
成績を大きく落とした要因は、漢字である。夏の初め、「夏期講習中に覚えるべし」と与えられた漢字の量がかなり多く、1学期のペースでは、夏のテスト勉強が追いつかないことに気づいた兄。
その時点で、意気消沈していたので、なるべく負担に感じないよう、一日に取り組む量を小刻みにし、覚え方のレクチャーも行った。
しかし、これがなかなか進まない。まぁ、そうだよね。苦手な勉強に嫌気が差すのは皆同じ。大人だってそうである。ここ1年以上、資格試験の勉強をコンスタントにしているので、体感としてもそう思う。嫌なもんは嫌。
なので、「なんでできないんだ!」なんて雷を落とすつもりは毛頭ないのだけど、受験勉強だから、なんとかはしないといけない。機械的に取り組んだり、気合いで乗り切ったり、さまざま試しながら、その人なりの乗り越え方を見つけていく必要がある。
苦手に立ち向かえるか否かは、「なんとかしないといけない」という気持ちの強さに比例しているように思うのは、私だけだろうか。
苦手に背を向けていては、「なんとかしないといけない」という自意識は生まれないだろう。難儀な取り組みに向き合うには、モチベーションや勇気のように、自分を奮い立たせる気持ちが必要で、そうした思いを抱いて初めて、苦手の克服につながる具体的な作業に着手できるのではないだろうか。
スポーツをイメージするとわかりやすいけど、勉強も同じである。目標達成にいかにこだわるか、嫌だなと思うことからいかに逃げないか、といったあたりに、学問の成就がかかっているような気がしてならない。
なんだかんだ、根性論なのかな。
今の兄は、まだまだ苦手から背を向けている。でも、時間は刻々と過ぎ、再びテストは近づいて来て、事態が変わらぬまま「どうしようどうしよう」が増大し続けている状態。
何も考えずとも毎日取り組めば、サブリミナル的に学力がつく部分もありそうだが、気持ちがなければいずれ嫌気が差すし、不安が頭を埋め尽くしたら、泣く以外にどうしようもなくなってしまうのだ。
気持ちの問題が大きいとなると、親のフォローはどうしたもんか。甘いささやきもダメだし、辛口もダメだし、なんならいいのさ。気づきを与える一声を模索しているが、未だヒットならず。
夏の初めに露呈した苦手は、夏休み中に上昇気流に乗せることができず、今に至ってしまった。テストの結果も徐々に悪くなり、夏の終わりのテストではついに漢字が全滅し、万事休す。そして兄は、冒頭の最大級の不安に襲われ、追って私も焦り出し、ザ・悪循環。
不安定な兄は、人のウワサ話に敏感になり始め、「誰々は、毎日夜11時ごろまで勉強しているらしい」「誰々は、家庭教師をつけ始めたらしい」「誰々は、授業前に宿題を終えてしまうらしい」などの話を耳に入れてきた。
「僕、もっと勉強しないとヤバイ…」
「え、もっと?今でさえ回ってないのに、これ以上必要なくない?」
「だって、勉強しないとテストが悪くなるから…さめざめ(泣)」
内心、「うわーそうかぁ、みんなそんなに勉強しているのか」と思ったのは胸の内に秘めた。決められた席数を争うのが受験。こうしてさめざめと泣いている間に、淡々と課題をこなして先に進む子との間は、どのくらい開いていくのだろう。
不安だ。不安しかない…。
こうした思いから、夜更かしに目をつむってとんでもない時間を勉強に充てたり、「中学受験は課金ゲーム」なんてセリフがあるように、オプション講座をバンバン付けたり、塾と家庭教師をダブル使いして、補習に躍起になるのだろう。何もせずにじっとしているのが、一番不安だもの。
これはまさしく、ツボや掛け軸を購入し、毎日祈りを上げて精神安定を図る心理と同じような気がしてきた。「中学受験は不安産業」という言葉を見聞きしていたが、これか。今ならわかる気がするな。
不安渦巻く我が家では、私が先に音を上げた。ずっと不安を抱えていることに耐えられなかった。一方で、ツボや掛け軸を買う気にもならなかった。
兄にはありのままの自分で勝負してほしいし、兄の心の内から「なんとかしないといけない」の気持ちが芽生えるのを待ちたいと思った。
「うまくいかないこともあるさ」
「全部やろうとしなくていい」
「今できることを着実にやっていこう」
夕方、一緒に近所をウォーキングしながら、そんな言葉をかけた。兄に語りかけながら、自分にも言い聞かせた。
さぁ、どうなるかな。無事、上昇気流に乗れますように。
楽しみだなぁ。これは絶対、親子で観なければ。
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