答えのない時代を切り拓く子どもたちには、ぼんやりタイムが必要だ
冷たい小雨が降りしきる土曜日。今日も兄は登校日であった。一斉休校の余波で、夏休みが2週間になってしまった小学校もあったが、兄の学校はしっかり1か月を確保。その代わり、夏に稼げなかった2週間分の授業時間を、土曜登校日を増やすことで年度末までに消化予定だという。
今まで土曜登校日は月1回だったが、9月以降は第二、第四の2回になった。だが、12月の第四土曜は冬休みなので、今月だけは第一、第三なのだという。その結果、先週今週は残念ながら、週休一日になってしまった。
しかも、塾の土曜テストのスケジュールとバッチリかぶってしまい、先週も今週も午後はテストなのである。カレンダー通り週休二日の夫より、よっぽどハードワークである。登校時間はグッスリ夢の中。昼食後は床に転がってウトウト。その巨体の横を足早に通り過ぎて玄関に向かう兄。愚痴もこぼさずエライなぁ。土曜日までお疲れさま。敬礼。
通塾は家庭の事情だし、テストが多い塾を選んだのも家庭の事情なので、文句は言えない。ただ、このところのスケジュールをみると、ちょっと詰め込みすぎだなぁと思っている。なんにもない土曜日が、ない。
私立中学のオンライン説明会や、塾の保護者会、小学生新聞なんかで必ず出てくる話がある。「今の子どもたちが生きる未来は、『答えのない時代』。新しい未来を生み出す力が求められています」。
AIが台頭する中、新しい未来が形づくられようとしている。人間が担っていた仕事の中にも、AIに取って代わられるものが出てくるだろう。では、人間がAIに勝るものは何か。それは創造性である、と。
これからの時代に求められるのは、ゼロから1を生み出す力。今の学校教育のベースは、同じものを速く、正確に、たくさん生み出す必要があった高度経済成長期に求められた人づくり。そこを抜本的に見直していくのが、2年かけて改訂された新学習指導要領である。個のオリジナリティを尊重しながら協働することで、1人では成し得ない大きなものを生み出していく。それこそが、これからの未来を生きる子どもたちに必要な資質なのである、と。
そこに訪れた、新型コロナの猛威。未来はますます読めなくなった。未曾有の脅威の前では、失敗、成功を繰り返しながら、手探りで答えを見出さねばならない。データが揃うまで、ただ耐え忍ぶしかないときもある。未来を見通せない中では、心も大きく揺れ動く。自分を守るためにも、どんな心持ちで立ち向かうか、なんてことに目を向けるのも大事だろう。
こうした事柄に対応しながら、明るい未来づくりを求められた子どもたち。これも知ってほしい、あれも学んでほしいと、知識を提供するのも大事だけど、何かを創造するには、発想を膨らます「隙」が必要なのではないかな。
机に張り付かせる時間を増やすより、吸収した知識のあれやこれやを頭の中で紐付けながら、ぼやぼや考えたり、気を張らずに好きなことに思いを馳せる、ぼんやりタイムが必要に思うのだ。
週に4回は6時間授業の小学校。朝8時に家を出て、帰宅は16時。一時間後には塾に向かう。土曜日は、午前に4時間授業を受けて、午後は塾のテストが3時間ある。これじゃ、ぼんやりするヒマないな。
学校での学びは大事だし、中学受験は親がよっぽど受験に長けている方でないかぎり、塾に入らねば対策は難しい。兄に合う教育理念の学校を選びたいという想いから塾に入ったが、まずは3年間、授業やテストをこなし続けられるかどうかが問われている。
既定路線なるものがない未来に向けて、敷かれたレールを走る。そこらへんの矛盾なんかも含めて、多角的に捉えられる人になれってことか。なかなか難儀なことを求められている。
機械好きの兄は、朝、学校に行く前に5分でも時間があれば、エネファームの説明書を眺める。母は「そんなんしないで早く学校行ってよ!」「週末のテストに活きる勉強しようよ!」と、思う気持ちをグッと堪えている。
エネファームの説明書を開く時間は、兄にとってぼんやりタイムだ。現実逃避できる、大事な自分時間。兄の未来に、必ずや光を射してくれるだろう。
集中しすぎて「時間がないー!」と、叫びながら慌てて準備して出掛ける姿が容易に想像できても、母は何も言うまい。
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