100分de名著「ディスタンクシオン」を観て、南国リゾートに行こうと思った話
2011年から放送が始まり、10周年を迎えたEテレの『100分de名著』
この番組が大好きだ。
ありとあらゆるジャンルからピックアップした名著を、指南役の先生と伊集院光さんが、解説や感想を添えて紹介してくれる。
自らの知識や教養を飛び越えた、見方だったり意見だったりが聞けるので、ひとりで読んでいる以上の理解が得られるのは間違いない。
1回25分、4週にわたって一冊の本を読み解いていく。この4回を観れば、一冊分読み終えた気分になれるのも、読書が苦手な身にとってはありがたい限りである。
子どもが小さいころは、寝かしつけ後のお楽しみタイムとして、毎週月曜日、22時25分から欠かさず視聴していた。だが、子どもが大きくなるにつれ就寝時間は遅くなり、家事の終了時刻も遅くなり、この時間帯にテレビの前でスタンバイするのは不可能になってしまった。
そこで始めたのが、毎週録画の予約。一度でも予約の世界に入り込んだら、オンタイム視聴には戻れないね。時間を気にしないのは、とにかく楽だ。
しかし、そのうちに「録画してあるからいつでも観れるわ」という安心感に呆けて、録画チェックはなおざりになり、とんでもない回数がたまる羽目になってしまった。
「大量の録画をどうにかしろ」と指摘してきたのは、録画容量を定期的にパトロールする家電オタクの兄である。兄もさまざま予約をしているし、録画画質を落としたくないとかなんとかで、「容量を食われては困る!」と強い追及を受けてしまった。
内心、「うるさいなぁ」と思いながら渋々、『100分de名著』の録画欄を確認してみる。なんと、先頭は2020年12月の録画だった。
大変申し訳ございませんでした!
と、いうことで、ためた録画をどんどこ観ている最中である。再放送は消去し、観やすいものから行くかと、5月の三島由紀夫『金閣寺』、7月のボーヴォワール『老い』と来て、トップバッター2020年12月のブルデュー『ディスタンクシオン』を観終えた。
先日、オールナイトニッポンでの対談で、星野源さんが「ディスタンクシオンから受けた影響について語った」と、ネットニュースに書かれていた。
語っただけでYahooニュースになるのだから、スーパースターはすごいな。
そのときは「へー」くらいにしか思っていなかったけど、気づけば我が録画欄にあったからたまげた。どのあたりが星野源の琴線に触れたのだろうと、スーパースターのご意見もちょっと意識しながら視聴を始めた。
ラジオでは、おそらく第2回の話をしていたのかなと思う。自らの趣味を発信する際、自然と他者の趣味を批判している、というような話である。
その趣味について、著者のブルデューは大規模な調査を行い、高収入や社会的地位の高い人ほど、格の高い趣味を選ぶという結果が記されている。
普段、何気なく選んでいる趣味。その決定には、実は社会階層が大きく影響していて、皆、選びとっているようで、選ばされているというのが、第2回のおもしろいところであり、少々ゾッとする話でもあった。
そうなると、逆に「趣味がない」と公言している人は、自らの社会階層を見せつけることもなければ、趣味の発信によって他者を傷つけることもない。要は無害、ということになる。
もしかして、それこそが皆に優しく、賞賛されるべき存在なのかもしれないと思った。
最近、すっかり水槽が趣味になったが、夫は長年、「趣味はない」を謳っている人だった。だから、なのかは不明だけど、確かに私の趣味を蔑んだり、文句をつけてきたりするようなことは一切なかった。
一方、趣味人の父は、昔から家族の行動への口出しが多い。今でも私や孫の趣味や活動に垣間見えるセンスに対し、批評を入れてくるから困っている。
その様子がいつも、「あなたはどんなご趣味をお持ちで?」と言わんばかりのファイティングポーズなので、趣味が趣味を批判する構図には、妙に納得してしまった。
父と真逆の性質を持つ人との暮らしを選んだのは、「素晴らしき無害」の要素を尊く思ったのかもしれない。事実、批判に晒されない生活は心地良い。
でも、趣味のない人たちが、趣味がないことの良さを強く発信し始めたら、今度は、趣味人たちが批判を受けるのかもしれなくて、結局、世の中のほとんどのことは、あっちを立てればこっちが立たず。ゆえに、有利と不利が生まれたところに分断が生まれる。
そんな社会の中では、あっちとこっちがつり合う点を見出す作業が、より大切になってくるだろう。
利害の一致した、一部の人たちだけを幸せに導くリーダーシップはヒール役で、全体最適を目指しながら協調性を発揮する者は英雄と映るのは、どんな時代においても、普遍的に社会が求める構図なのかもしれない。
協調性を磨くには、自分と考えや嗜好の異なる他者への理解が不可欠だ。
知らない、関係ない、好きじゃないと、自分にとって異質なものをシャットアウトしていたら、染み付いた社会階層から抜け出せず、本当の自由を知らぬままに、自分の選択肢を狭めていく気がしてならない。
こういう話を見聞きし、考えを廻らせると、「じゃあ、子どもたちには何を伝えていったらいいのだろう」と首を傾げる。
『ディスタンクシオン』からの学びは、「多様な環境の提供を意識する」にしようと思い至った。親の社会階層に合った生活パターンの中では、子も親と同じ価値観に染まるのは否めない。
だから親の方も、好みや効率などでパターン化された生活を、適度に壊す必要がありそうだ。最近、家族での外泊がキャンプばかりなので、たまには南国リゾートなんかも満喫せねばなぁ、なんて思ったり。
ケチケチおばさんの生活パターンに子を当てはめすぎるのも、多様性を受け入れる中ではよくないんだ、きっと。コロナが終わったら、ビーチに寝そべって1日が終わるような旅行もしたいもんだ。いや、しなければいかんね。
ついには青い海、白い砂浜、きらめくビーチパラソルなんかも妄想しながら南の島に思いを馳せ、全4回の『ディスタンクシオン』の視聴は終わった。
『100分de名著』の録画ストックは、まだまだたくさんある。私はSFをあまり好まずなので、6月のブラッドベリ『華氏451度』は、消去ボタンに指がかかっていた。
でも、やめた。
好まないものも、番組チョイスで自然と入ってくるのが『100分de名著』の良さだ。それを忘れかけていたとは、いかんいかん。他者理解を深めねば。