心を揺さぶられた記事
前にも紹介した、このクリエイターさん。
(私が好きで、勝手に応援してるだけだけど。)新しい記事を書かれていて、すごく刺さったので、また自分のところに残しておきたくなった。
ジャッジするのが得意。
私もほんとにそう。ほとほと嫌なのに。
でも、どうしてもやめられない。
自分へのジャッジは以前より減って、ずいぶん楽になってきた。(これ、セルフコンパッションに近い?調べてみよう。)
でも。
人へのジャッジは相変わらず頻繁で辛辣で。
しょっちゅうカリカリしたり、ヒヤヒヤビクビクしてる。(扁桃体が激しく反応するタイプ?これってHSPに近いの?マインドフルネスやメタ認知で緩和できるという心理カウンセラーさんもいる。)
ここしばらくモヤモヤしてたのは、これかな?と気がついた。(人の言動に不満や怒りがあって、気づかないないままジャッジしてて。ネガティブな感情を溜め込んで、自家中毒に陥り、そういう一連の仕組みが脳内にある自分に腹を立て、責めて…自分も人も全否定)
自他に向けるジャッジを、今より減らしていきたい。どうすればいいんだろう。
いわゆる慈悲のワークは、アファメーション嫌いの私にはまだまだハードルが高くて。
唱える自分に、嘘くさーーー、アホらしーと意地悪を言う私がいて…ちがう。そうじゃない。
私は「本心からそんなこと思えるかい!私は絶望的に、欠けたところや足りないものがあって、きっとそのためにいつも人から嫌われ、敬遠されてきて。そのために、人一倍孤独に怯えながら、苦しみながら生きてきた。その私がどうして、「私よりも幸せなみんな」の幸せを祈らなきゃいけないのよ。バカじゃない?こーゆーことが出来る人は、ナンヤカンヤ言っても、私よりぜんぜんまともで、世の中から排斥されてない人たちなんだから!怒怒怒…って、そんな風に思ってるんだ。
できない、やれない、やりたくない!と。
そうか、そんな風に思ってたんだ。了解したよ。
難易度が高い時はスモールステップから、っていうじゃない?
ジャッジを減らす小さな一歩…今切実に、私にはそれが必要で、それをほしいと思ってる。
自分に問いかけておくね。きっとまた「あ。」と思うヒントが、浮かんでくるはず。
いろいろ考えさせてくれるこのクリエイターさんの記事が、ほんとうにスキ。
という、ジャーナリングのようなひとりごとでした。セルフコンパッションのこと、酷い言い方をしてしまった。でも、私は慈悲のワークが嫌いだとハッキリわかって、(どうして嫌いなのかもわかって、)スッキリした笑。
私は自分が持ってないお菓子を、人がもらえるようになんて祈れないケチンボだ。
なんなら、(私が持ってないんだから、みんなのお菓子もなくなってしまえ!)と思うこともあるロクデナシだ。
でも、いーもんね。知ーらない。
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