餅は餅屋/自作プリント満足は先生の煩悩だと心得よ
餅は餅屋。
自作プリント、自分なりのオリジナルに誇りを持つ人が多いのが先生の世界。
そして、それはまさに煩悩である。
自分が作ったものこそが一番優れている、はずがなかろう。
そもそも、周囲には問題作成、テキスト作成のプロがプロによるコンテンツが溢れている。
学校の先生も然り、日々、プロ中のプロのコンテンツに囲まれている。
それでもなお自作に拘ろうとするのだから、よほど我欲の強い生き物なのであろうと推測される。
(一般の方には分かりにくいが、教えるプロと問題作成のプロとは別物。教えるプロが、問題作成のプロほどに問題作成に時間をかけることは非常に困難だ。また作成のプロのような膨大な蓄積がない)
輪をかけてまずいのは、手作りプリントを渡すことが、熱意の表れ、生徒思いの行為だという思い込みである。
日本人特有の精神論が未だ息づいている。
生徒に真に必要な教育を届けることこそが真の生徒想いだと思うのだが、さてどうだろうか。
幸いなことに時代はすでに変わった。
少なくとも生徒の中に手作りプリントをありがたがる子は皆無だ。
(このあたりは生徒の本音を聞くことのできない学校教員のハンデだ。客観情報を得る情報源や努力が必要だろう)
むしろ、誤植や明らかな出題ミスで、子どもたちに余計な手間を与えてしまう。これはリアルに現場にいて確実に言えること、常に起きていることだ。
あわせて、熱血指導はまったく心に響かない世代。みなさん早く気づきましょうね。
県で作成されている、なんちゃらっ子プリントも、質の悪さにがっかりさせられ続けている。
設問の持つ「問いかけの質の悪さ」が目につく。
それに気づかないのだから、やはり素人なのである。
出版や作成コストが下がり、巷の問題集や参考書のグレードは近年、急激に上がった。
もちろんデジタル教材の存在もある。
自作にこだわる方は、もっと周囲にアンテナを張らなければならない。
とっくに昭和は終わっているのだ。
餅は餅屋。
このことは、このたびの休校においても問われることになる。
手作りプリントや思い込みプリントは結構。
こんなときだからこそ、有意義な課題、もしくは自主学習のためのツールが子どもたちに届くことを願っている。
(おわり)