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【権利と自由、民主主義を学ぶべき、学校のあり方について/中学のある誓約書・確約書が気になったので書いておきます】

【権利と自由、民主主義を学ぶべき、学校のあり方について/中学のある誓約書・確約書が気になったので書いておきます】

学校では民主主義を学ぶべき。

改めて書く。

権利(人権)や自由に対して、地域の大人があまりにも無頓着すぎるのが、非常に気がかりだからだ。

まだまだ大人世代、特に僕らを含めた今の親世代は、
トップダウンや年功序列に慣れ、組織や共同体のあり方は、非常に古いそれを引きずってしまっている。

社会に出て以降も、引き続き、学び続けていなければ、権利や自由、さらに憲法や民主主義について、無知なまま、という人も多いのではないだろうか。

僕ら昭和世代なんかは、体罰も男女差別も、上から下される命令に従う生き方も、それが標準だった社会のあり方を知っている。故に、知識が更新されていなければ、人権や自由に無頓着になるのは間違いなかろう。

現状、現在の小中高といった学校には、ほとんど民主主義を学ぶ場面がない。
ほとんどというか、まるでない、という学校も多いかもしれない。


学校が独自に持つ思想や校則の類も然り。
教師があらゆる決定権を子から奪っていることも然り。
多数決でしか決められない話し合いも然り。


中3の子たちは公民という教科書を学ぶはずなのだが、それの持つ意味を理解する子は、ほとんどいない。テストのために用語を暗記しているだけに留まってしまう。


なんとも惜しいことだが、教科書をなぞるだけではやはり学べないものではある。


学校での生活や行事など、日々の中に、当たり前に民主主義を学ぶ仕掛けが必要なのだ。


改めて書く。

教育の役目は、市民教育なのである。

その柱になるのは、民主主義的な思考や振る舞いであるはずだ。

同時に、憲法や法律、人権と自由について学ぶ必要も出てくるだろう。

例えば、意味不明な校則は、全国的に見ても、いまだに当たり前のように存在し続けている。
人権と自由のもとでそれらを見つめれば、そんなものは即刻無くなって良いはずなのである。

そんなイージーな解ですら導けない現状は、学校のあり方・思想を顕にしてしまっている。


地域の中学校で気になることがあったので、少し書いておく。

受験生に対し、ある確約書(誓約書)を校長宛で提出させている。
保護者の署名・捺印入りの書類だ。

私たちが守るべきは法であり、私的なルールにない。特に学校は法律に則って運営されている機関である。

なんらかの私的ルールは、家庭や子ども自身の権利を侵害する可能性があるため、慎重にならなければならないはずだ。

国・県・市が定めているルール以外のルールを、学校または校長が、確約書(または誓約書)として守らせることは、許されている行為なのか。
(この辺り、詳しくないので詳しい方からの情報を求む)

なお、ここで取り上げている誓約書は、県で定められているルールとは異なる、もしくは相反するルールであることをつ加えておく。


同時に、
権利を侵害される恐れがあるとき、これを正しく恐れる力がなければ、私たちは、公衆ではなく、いわゆる大衆に成り下がってしまうのではないか。
ここには地域の大人の責任がある。

ここにも、権利と自由、民主主義のあり方が試されている。


だから改めて書く。

権利(人権)や自由に対して、地域の大人があまりにも無頓着すぎやしないだろうか。

無論、学校に関しては言わずもがなではあるが。(ここには期待値がかなり低いので)

学校は民主主義を学ぶ場所になりうるのか否か。

それとも、もはや自由にも権利にも疎い、大衆だけが増産されゆくのか。

一市民として地域に生きる僕らは、試されている。これから迎えようとする時代に。

(おわり)




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