学校が子どもたちを抱え過ぎることの問題/未来のあり方へ向けて
夏の講座をスタートして、例年通り僕はすっかり教室の座敷童子状態、
教室にずっとこもって勉強中です。
相当な暑さの続く日々ですが、子どもたちには夏休みだからこそ時間がとれること、取り組めることをしっかり頑張ってほしいと思います。
もちろんこれは、テスト的な勉強に限ったことではありませんから、多く体験や経験から学べるものにトライしましょう。
ポイントは「遊び」の要素です。
人にとって、また人の学びにおいては、「遊び」の要素は、切っても切り離せないものです。
遊びを意識すると、極端過ぎる時間管理と、そこにおける極端な強制は、学びを妨げることになることがわかるはずです。
なんでもかんでも指示命令強制、管理して統制して、でよいはずがありません。
この点では日本の学校は、長期休みに子どもたちを抱え過ぎていることは大きな問題です。
ひとつは部活動。
ここで拘束するのは法的もかなりアウトです。全国的にも部活動を学校から切り離す動きは進んでいます。
極端なそれは、教育そのものの足を引っ張ってきていますし、少なくとも教師の働き方改革は、部活改革とともに進みます。
親御さんの側も、「部活は学校が行うもの」という旧来の思考から脱する時が来ています。
「スポーツ指導者なみの指導を求める」は、今や保護者として誤った行動です。
こうやって教育は変革されていくのだという、そのことをまず親御さんが知り、かつての感覚を変える責任があるのです。
それから、宿題課題。
デジタルなものも増えてきていますが、デジタル的なそれは管理をさらに容易くしますから注意が必要です。子どもたちの学習をケアすることは必要だとしても、強制、拘束するのは間違いです。
主体性が、指示命令管理統制でタクトを振るう場所に訪れることはありません。
思考は閉ざされるのみで、考える力など手に入れようもないのです。
社会に出てその一員として自分の役目をそれぞれが果たそうとするならば、
今教育がなすべきことは、指示命令管理統制で、主体性も思考力も失った人間を育てることではありません。
また、教育がなすべきことは、内申点をひたすら追い求める環境で、損得勘定だけで行動する人間を量産することでもありません。
つながりのある誰かを損得感情を抜きにして救いの手を差し伸べることができる、そんな人間を育てられるのかどうか。
それを考えると現場の内申点を追うばかりになっている教育の現状は、向かうべき道を誤ってきたことがわかるはずです。
もちろん、このことは親御さんにも頭に入れておいてもらいたいことでもあります。
次の社会を担う子どもたちにとっての、真に必要な学びを。
それなしには、成長も自立もありませんよね。
その点で現状では多くの管理がただの束縛でしかなく、むしろ力を減衰させていくものですから、気をつけなければならないはずです。
長期休みも、ぜひ、みなさん良い学びを。
僕は自分の教室で、子どもたちの学びへの取り組みを日々続けています。
かつての価値観のかつての先生では、今の子どもたちを導けない。
だから、多くの先生を雇用しての取り組みは難しいですし、ずっと慎重です。以前と違って、多数の先生、多数の生徒というのを意図的に避けているので、関わることのできるこどもたちは(今のところ)多くにはなりません。
ほんの僅かでも良い、わずかばかりの光を。
(おわり)
本当の学びの場をここで。
全国からの問い合わせや見学希望などもある、地方でも特別な場になっています。
定員などの関係でお断りすることが毎年出てきてしまいますが、「是非ここで学びたい」という方をお待ちしています。