通知表の話
その1
通知表って、結局、主観だな、と。
リアルの子どもたちの状況を見ていて思う。
先生というのは、その主観に恐れを持っておくべき。
誰かを判定するということへの恐れを。
それを、"決まり通り、客観的に正確につけています(つけることができています)”と、
自信を持って言う人を、
僕は信じない。
その2
通知表の続き。
通知表を見ると、
先生に好かれているとか、好かれていないとか、
先生に好かれやすいタイプだとかそうじゃないタイプだとか、
そういうのが明らかに"ある"。
(一応僕は、20年以上、県内全域の小・中学生の通知表を何千と見てきているので)
で、ちょっと決定的なことを、こっそり書いておく。
先生の好む生徒像の問題について。
下世話な言い方かもしれないが、
「先生のストライクゾーンが狭い」。
狭すぎる。
こんな生徒が理想、こういう生徒が良い、というような、先生が掲げる生徒像があって、これがかなり画一的で、ある種古い日本人的思想に準じていて、とにかく、そのゾーンが狭い。
現代のように、子どもたちが、大人と大きく異なる価値観を持ち得る時代においては、これが仇となってしまってさえいる。
超管理社会のもと、その超管理に従う超従順な子だけが、先生のお眼鏡にかなう。
なんじゃそれ、である。
そんな時代錯誤で自分勝手な「主観」に、判定を下されて嬉しい子など一人もいない。
理想とする生徒像の狭さ。
これは、先生の器量によるものだろう。
つまり、先生の側に、子どもを受け入れる器がないのだ。
自分の器量を差しおいて、子の器量について責め立てる。
なんとも、小さい話ではないか。
先生から見て、"いい"とか"悪い"とか、
人に判定を下すような、そんなおそろしいことを、
小さな器量でもってやってしまうなんて、
まあなんとおそろしいことをしているんだろうと思う。
いち先生、いち教師に、そんなおそろしいことを独善的に行ってよい権利など、あるはずがない。
そういうことを、ここでこっそりと書いておく。
(おわり)FB投稿より
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