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【簡易版/教育と子どもたちに起こってきたことの流れ】

どこかでいずれまとめるとして、これまでの、教育と学校で起こってきたことの流れを少しだけ書いておきたい。

ちゃんと書くと本一冊書けるので、ここで書く内容は簡易版という位置付けになる。

長文になるので、先に大きな流れを提示しておく。

モンスターペアレントの登場

→学校の管理統制の強化

→子どもたちの反抗・親子の隔絶

→世界的緊急事態

→従来の傾向の加速とジャンプ

→管理統制、ホワイト化の進行

→思考停止・価値観の受け入れ

→お利口さんになった若年・子ども世代

→ますます進む管理統制

→未来へ

 

「モンスターペアレントの登場」

一昔前、モンスターペアレントという言葉が特に注目され世間を騒がせた時期がある。

理不尽な要求をする大人が増えたのだ。

要因は「消費者」としてあり方である。人々の多くは、生まれてから死ぬまでの時間の大半を、”ああすれば必ずこうなる”が叶う優秀な消費者として過ごすに至った。

他の立場、例えば、学び手である学習者としてだとか、共同体に無償で貢献する奉仕者としてだとかいった時間は、ほとんど失われてしまっているのだ。

「学校の管理統制の強化」

やがて学校は、不条理なクレームに対処するため、より現場を管理、コントロールする姿勢を強めた。

宿題や課題漬け、従属を強いる一斉授業、集団行動、内申点を利用した隷属、などはそのわかりやすい例であろう。

「子どもたちの反抗・親子の隔絶」

では、管理が強まってから、子どもたちに起こったことが何だったのか。それは、子どもたちの反抗・抵抗である。

子どもたちは、この時期、それぞれが自分なりに考え「なぜ、学校も親も、指示命令ばかりして管理したがるのか?」と問い、その受け入れを拒んだ。

この姿、今現在も似ているように見えるが、当時の反抗抵抗は、今とは、質的に異なることも留意しておかねばならない。

何が違うのか。

それは、学校の教員だけではなく、親にも反発、反抗があったということだ。

この地点、年でいえば、2015年前後になる。社会の価値観が大きく次のステップに入ったところでもある。子どもたちにとって、社会を見比べても、学校はどうも古臭い場所で違和感がある。

その上、親の言葉や振る舞いも学校の先生たちと同じなのである。

学校も親も、両者ともを理解ができないという状況となった。

教員と生徒だけではなく、親子間での価値観が大きくなったために、子どもたちは、どこにも理解者がいない状況を迎えた。

もちろんこの状況を迎えられるためには条件がある。

それは、子どもたち自身に思考する力があること。

このことは肝心で、今と異なるところなので頭に入れておいていただきたい。


なお、社会的には、それでもなお大人たちはかつての価値観のままで多くのことを押し切ろう、乗り切ろうとしていた時代でもある。

押し切れるだろう、と思っていたのだ。そう、いつでも世代ギャップなんてあるし、子どもは子ども、大したことないとたかを括っていたのである。

 


「世界的緊急事態」

人は生来、現状維持をしようとする生き物である。

社会が変化してきても、そう簡単には次の価値観に乗れない。

しかし、世界を揺るがすような緊急事態が生じれば別である。

それが2020年あたりに生じた感染の脅威。世界中が恐怖に飲み込まれた。

「従来の傾向の加速とジャンプ」

よく言われているのは、この脅威によって「時代が早回しになった」ということ。

今まで1年で進んでいたものが、この期間、数年分くらいの速度で進んだのだ。

社会が何年分もジャンプしたと言ってもいい。

特にここでジャンプしたのは、社会の価値観であり、人の価値観だ。

私たちのこれまでの「当たり前」は、ウイルスの脅威を経て、一気にジャンプし、変革したと言っていいだろう。

リアルコミュニケーションは一気に減った。

リモートワークやオンライン会議が当たり前となり、

従来なら直接会って話をすべきことが、メッセージやチャットで済ませて当然の時代となったのだ。

テクノロジーで補完できるものは、あっさり補完するのがフツーになった。使えるアプリやサービスも一気に増え、我々はそれらを受け入れることになったのだ。


 

「管理統制、ホワイト化の進行」

そして、誰かが誰かを管理するシステムはますます強固なものになり、

社会全体はホワイト化が進んだ。

管理統制が効きやすい時代が来ているとも言える。

学校も同様である。

管理統制の思想はさらに加速した。社会もそうなら、学校もそう。

多くの大人(ここでは保護者)も、それを受け入れるのが当たり前となった。

感染という緊急事態以降、リアルのコミュニケーションの経験値が少ない子たちが増え続ける中で、集団や他人が苦手な子たちは市民権を得て、不登校の数もますます増大した。


「思考停止・価値観の受け入れ」

管理統制に反発していたはずの大人や子どもたちは、

それが「長く続くこと」、「脅威によって社会が未来に向け加速したこと」によって、

管理統制を受け入れる方向へとシフトして行くこととなる。

ここには、”ヒトが思考しなくなった”という問題が含まれていることも挙げておく。

指示命令、管理統制を長く受ければ受けるほど、人は思考することを諦め、やがて、思考する力を失う。

 

「お利口さんになった若年・子ども世代」

例えば、大学などでは昨今”学生が真面目で大人しくなった”と聞くことが多い。

企業でも同じだろう。大人しくなった新入社員の姿。

これらは皆、ここで話してきたことが根っこなのである。

思考を諦め、さらに思考する力自体を失っていく。

我々はこうして今、より”従順”で”管理されやすい”若者を大量に生み出しつつある。

 

「ますます進む管理統制」

現在の地点はここである。

教育現場は、さらに管理統制がききやすくなった世代へと移ってきている。親子共々、管理統制、指示命令を受け入れやすいと言っていいだろう。

先述したが、子が先生や親に反抗できた時代があった。

そこには子の自立した思考があった。思考力があった。


ところが今の現在地は異なる。

レジスタンスはなされず、むしろ受け入れる。

従順で、お利口さんの子がますます増加中なのである。


「未来へ」

ここまでくると、”未来、私たちの社会を誰が支えうるのか?”という問いに対して、一体、何をどう答えればいいのか分からなくなる読者が多いはずである。

AIに多くの判断を委ねる社会が訪れても不思議ではない。

ここで書いた流れを頭に入れれば、今、日本で流れる様々なニュースを見た際に、起きていることに合点がいくようになるはずである。

そう、今起きている様々事象は、起こるべくして起こっているのだ。

詐欺や強盗などの様々な犯罪、職場でのハラスメントや仕事が長続きしない新入社員、退職を代理で伝えるサービスの人気上昇、多忙すぎる教員と続く不祥事、ますますの学力の低下、などなど、あらゆることは必然のように見えてくるに違いない。

  

というわけで、

あくまでも簡易版ではあるが、近年の経過を辿ってみた。


(おわり)




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