新しい学び方を受け入れること/大人の側の心構え
どうも時代遅れな感じがする。
このところのサッカー日本代表の試合を見て感じることだ。
戦術面で、世界に遅れをとっているのでは、と思えてしまう。
ヨーロッパのサッカーは今、戦術面でとても高度なものになっている。
試合の分析もデータをガッツリ用いて行う時代だ。今は攻守でフォーメーションが変化したり、各ポジションのタスクも複雑だ。選手それぞれが、個の技術を磨くことはもちろん重要だけれども、それだけでは試合に使ってもらえない。高度になった戦術を深く理解し、与えられたタスクをこなす必要がある。
なんだか今のサッカーは凄まじい。スポーツの最新進化形なのだろう。
それを見てると、どうも日本代表の戦術的遅れを感じてしまう。悲しいかな。
さて、何の話をしたいのか?
当然、勉強の話である。
子どもたちの勉強もまた、サッカー同様に、新たな学び方を要求される時代になる。
勉強を取り巻く環境、テクノロジーは大きく変わってきたからだ。
同時に、彼ら・彼女らの特性の変化も大きいから、よりそこに合わせた形を目指す必要もある。
何が書きたいかというと、大人のことである。
子どもたちを見守る(または指導する)側が、時代に遅れすぎていると、それを許容できず、何かと手や口を挟んでしまうだろう。
ところが、あなたのそのやり方が古い、としたら、その入れた茶々は、適切であろうか、ということを考えてみてもらいたい。
否。
古い大人の勉強戦略は、邪魔にしかならぬということだ。
だから、まず大人が学ぶ、これは大前提で、大人が今の環境でどう学ぶのかをどんどんトライすべきだ。
そうすると、ここはデジタルを使おう、こういうガジェット使うと効率が良い、あ、思ってたより、映像授業で講義受けた方が楽だね、とか…
そういうことがわかる。
もちろん、デジタルのもの、テック的なそれは、科学的エビデンス、理論と一緒に用いると具合が良い。
気合や根性論、精神論、道徳論(日本の場合はだいたい儒教)ではない、
思考や振る舞いを身に付けていきたいところだ。
そうすると、実は、今まで自分がしてきた勉強が、結構、非科学的なやり方であったことがわかるし、少なくとも現代向きではないことがわかるだろう。
多くの大人、特に学びをやめてしまった大人は、自分が学んだ学生時代から、知識や理論が更新されていない。
だからこそ、人は学び続ける必要があるわけだが。
(特にこれほどの時代の変革期はね)
で、むしろ、わからないところは、子どもの邪魔をしないことが肝心だ。
わからないことはわからない。
子どもたちが優れていることは優れていると認めよう。
これも一人の学び手としては大事な姿勢だ。
特に気にかけておいて欲しいのは、多くの場合、親という存在は、子どもの邪魔をする(ドリームキラーなんていう言葉がある通り)存在になりやすいということだ。
愛情があるない、深い浅い、の話ではない。
子どもたちの未来の、障壁に一番なりやすいのは、一番近しい存在である親だということだ。
子どもたちが生きようとする世界は、今も1秒単位でどんどん進化し続けている。学びのスタイルは新しいものになろうとしている。それは新たな科学的知見を伴って、新たなテクノロジーを伴って、だ。
流れには逆らえない。
サッカーの戦術面の高次の進化も、同様に、テクノロジーがもたらしたものだと言える。
これから学び方もますます進化していくだろう。
大人の側にも、そういう覚悟が必要なのだと感じている。
(終わり)
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