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読解力を養う取り組みを続けてきた中で/偏差値の高い子が必ずしも賢くないのはなぜか?

読解力。

これは理解する力でもあり、思考する力や論理的思考にもつながっていく。
これらはいずれも簡単に切り分けることができないものだ。


教科書が読めていないのでは、という読解に関わる問いが立てられてから、今それはある程度の信憑性を持つまでに至っている。


実は大人の我々世代ですら、文を読解できていない人が多数いることもわかってしまった。

あらためて、ここまで教室で取り組んできた意義を感じていると共に、今後ますます、読解力を身につけていけるかどうかが多くの人の道を決定づけることになるのだろう。

それはコミュニケーションで、それは授業の中で、この教室のあらゆる場面で身についていく。スクールにはそういう設計が組み込まれている。
(僕に会いにきてくれるだけで賢くなるという言い方をするのだが、それにはそれ相応の仕掛けや意図が組み込まれているからこそ言えるのだ)

形を追うだけのなぞる勉強や、パターンと暗記を繰り返すだけのもの、穴を埋めていればよいプリント、一方的な講義、これらがほぼ子どもたちに何一つ読解力を養わないことが明らかになってきている。単に点数を追えばよい勉学ならばなおさらだ。


小中でほぼ伸ばせなかった力は、高校でも維持されていく。

こうして、点数は取れるのに賢くない子、偏差値は高いのに賢くない子、が世の中に溢れてしまっている。

単にテストの点数や受験勉強、学校の求める内申点ばかりに最適化してしまうことで、人はどんどん賢さからかけ離れてしまうのだ。

教育は一般に、成果が見えるまでに時間がかかると言われているが、実はこのネガティブな成果はかなり短期間で見えてしまっているのだ。

読解力について、気になる方は、東大とAIでご存知の新井紀子さん(数学者)の著作を読んでいただければ、実は僕が取り組んできたことの多くが伝わるのではないかと思う(特に、新井さんのAI本の2作目)。
書籍紹介はまたいずれ。


僕はもうすっかりと、ここ10年近くにわたり取り組んできた。
子どもたちの特性の変化に合わせて、かなり修正も加えてきて今がある。
蓄積も大きい。


思考の階段を細かく作ること、
論理的な文章を書けること、
またそれを発言できること、
さらにはそれを導く思考(の枠組み)、
コーチングを応用した授業での問いかけ、
問いかけからのコミュニケーション、

僕の取り組んできたこれらのことは、
読解力の文脈においては欠かせない取り組みでもある。

(学校でこそやってほしい、そうするとかなり子どもたちの力を支えられる。なお一般に民間塾は考えもしない領域なのでそこではそもそも無理)


あらためて、スクールでの取り組みの重要度は増すだろう。

というのを、改めて感じています。


(おわり)


まなラボスクール【山口県周南市の学習塾 | 小・中・高校生対象】




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