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『政治に関する特別講義』を観て

先日、三浦瑠麗氏の『政治に関する特別講義』という動画を視聴した。N高等学校(通信制の高校)の授業の一つとして行われてものであるが、それが無料で視聴できるなんて贅沢な世の中だなと感じる。

私自身、政治に関する知識はあまり無いことを自覚している。大学時代から学習参考書の政治・経済で勉強をしたり、実際に選挙へ行ったりもしたが、「じゃあ政治とは何か」と問われた時にスパッと答えられる自信が無いのだ。そんな私にとってこの動画はとても見応えがあった。今回は感想などを中心に述べたいと思う。


三浦瑠麗氏は国際政治学者として有名だ。テレビや雑誌、書籍にもよく登場する。私もその名前は知っていたが、特に動画を見たことなどは無かった。

国際政治学者というので、難しい話から始まるのでかと思ったが、始めの問いは意外なものだった。

「政治って学ぶ必要があるのだろうか」

そう問いかけたのだ。これにはビックリした。政治学者であるならば、「政治」の大切さを初めから強く説くものだと思っていたが、それ以前に「仕組み」としての立場で「学ぶ必要」を問うというのは国際政治学者以前に、学者、社会人、人として重要なことだと感じた。また続けて、

「どうやって政治を学べばいいかというよりも、何で政治ってあるの?の方が重要」


三浦氏は続いて「政治のことを知らなくても、皆選挙には行く」という旨のことを述べる。政治というものを完全に理解していなくとも、選挙に行く人は多い。言い換えれば、「政治を知る」ということと「政治に参加する」ことはまた別のことだということだ。これは多くの物事にも当てはまる。我々はスマホや自動車の仕組みを完全に理解しているわけではないが、それでもそれらを使いこなす。

特に印象に残ったのは

「自分のための代理戦争を実際に銃も刀も使わずにやってくれるために政治って必要なんです」

この説明は自分の頭にスッと入ってきた。今までどんな参考書や新書を見てもこんなにわかりやすい説明はなかった。難しい漢字が並ぶ政治用語をなんとなくで理解していたが、「代理戦争」という言い表し方には納得できた。

例えばYahooニュースで政治に関する記事があると、コメント欄ではみんな政治に対して、政治家に対して、社会に対して、言いたい放題言う。「国会議員のボーナスをカットしろ」「金をうまく使え」「方法を考えろ」などキリがない。誰もが強気に発言をする。

だが、そこでコメントをする人たちには戦争(政治の世界)で戦う勇気はない。あくまで匿名のコメント欄でコメントをするにとどまる。政治関して、世の中に対して思うところや言いたいことはあるが、それを表立って発言する勇気(もしくは力、余裕、気力)は無い。

コメントをしているだけでは世の中は進まないので、代わりに発言する人(代理戦争を戦う人)として政治家、ひいては政治が必要なのである。そのために多くの税金が給料や経費として使われているのである。形式的には我々はお金を払って世の中のことを代わりに考えてもらっている、決めてもらっている、戦ってもらっているのである。

非難やヤジを浴びながら我々の代わりに民主的な戦争を戦っている。そう考えると本来は、報酬やボーナスが高くあってもおかしく無いはずだ。それだけの負担や責任を負っているからだ。(そこをとやかく国民に言われてしまうということに問題があるのだが)

また国会については、

「国会は少数の意見を通す場所」

という説明があった。民主制の下では多くの物事が「多数決」によって決まる。賛成・賛同する数が多い考えが通る。だが、そこにはこぼれていく少数派の声や考えがある。個人個人で声をあげてもなかなか通りづらいが、徒党を組めばその声も一つの意見として届きやすくなる。

そう考えると、国会とは単に多数決をとる場ではなく、全国の大中小の様々な声を届ける場所だと言える。だからこそケンカのような場面になることもあるのだろう。「少数派の意見を殺さない」という意味で国会の存在意義はかなり大きいということだ。


三浦氏はもっと気難しい人だと思っていたが、そうではなかった。普段、大人を相手にしている人が高校生を相手に、高校生に分かるコトバで語るという行為はいくら専門領域であっても難しいはずだ。それを三浦氏はわかりやすいコトバと説明で難なく解説していた。彼女のような人がホンモノの学者なのだと改めて感じた次第である。


政治を知る




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