伊勢谷武『アマテラスの暗号』
実は先日、例のウイルスにやられてしまって10日ほど自宅療養していた。症状は3日ほどで軽くなったが、決められた期間は外出することができないので休みとは言っても辛かった。
元気になると、たっぷりある時間を楽しもうと楽天ブックスで本を数冊購入した。今回は決め打ちではなく、楽天ブックスのサイトを見ながらジャケ買いをした。その中でも特に仰々しい装丁をしていたのが伊勢谷武の『アマテラスの暗号』である。
本の帯には「ダ・ヴィンチ・コードを凌ぐ衝撃の名著!!」とあって、サイトの説明文には「これはあなたの歴史の常識への挑戦です」「神道とはなにか?」「天皇家の正統性とは?」「日本人はどこからきたのか?」などと書かれていた。特に装丁にかなりインパクトがある。帯もカバーも真っ黄色である。
私は思想家や宗教家ではないが、歴史や都市伝説、具体的に天皇や神話には強く興味がある。日本人としてその歴史や背景は常に興味の対象だ。さらに「暗号」とまで言われると買わざるを得ない。すぐに購入を決めた。注文して次の日には届いたので集中して読んだ。
まず、ざっくりした感想を述べると、話自体はすごく面白いのだが、神道やユダヤ教、様々な神事に関する専門用語がかなり出てくるので難しい。私のように浅く歴史や宗教を知っているというレベルではけっこう苦労するだろう。
本文には資料や写真がかなり多く挿入されており、小説というよりもガイド本のような印象を受けた。それらは神事や歴史の理解にはとても役に立つが、文章の合間にぶつ切りで挿入されているので、文章を読みづらくも感じた。
また、章がかなり短いスパンでコロコロと変わり、場面がかなり頻繁に変わるので少し読みにくく感じた。伏線を張ったり、同時にストーリーを進行させるには致し方ない部分もあるが、もうすこし一つの場面をじっくり読ませても良いのではないだろうか。
書き方はさておき、内容は北イスラエルの「失われた十支族(歴史の中に忽然と消えた人々)」が日本に来ていたのではないかという仮説や神道の歴史に秘密の組織や神話の謎が絡んでくるというものだ。中心テーマには「日本の神道とユダヤ教の共通点や同一性」が据えられており、大変興味深い。
日本と古代イスラエルは距離的にまったくと言っていいほど離れており、そこに類似点を見いだせそうな気配は無い。しかし、本文や提示される資料を見ると、確かに神道とユダヤ教との共通点らしきものが数多く確認できるのだ。
例えば、イスラエルの国旗に描かれる六芒星が日本の神社にも描かれていたり、「八坂(やさか)」はヘブライ語の「イヤサカ(ヤァウェ偉大なり)」に似ていたり、「八幡(ヤハタ)」は「ヤフダ(ユダヤ人が自分たちの王家ユダ族を読んでいた名称)」に似ていたりする。
また、京都の有名な祇園祭りを、見に行く場面では以下のような共通点が示されている。
「実はギオン(GION)祭りとは、シオン(ZION)祭りのことなのです—」(P293)
「『エンヤラヤー』とは、日本語では単なる掛け声で、まったく意味がないんですよ。しかしヘブライ語を理解している人には『エァニ・アーレル・ヤ―』、つまり『わたしはヤァウェを賛美します』にきこえるんです」(P296)
これらのように多くの共通点を提示されると、確かに偶然以上の何かがあるのではないかと思わざるを得ない。特に神道に関する用語とヘブライ語の間に共通点が多いようだ。果たして、これは偶然と言えるのだろうか。
本作を読んでいてふと思ったのだが、歴史でも何でも、持論をそのまま自由に書き上げられるという点は小説のよいところの一つだと感じた。
一般的な学術やアカデミックの世界では論文を書いてその正しさが認められたり、再現性(同じ条件下において同じ実験の結果やや同じ現象が同じ結果を示す度合い)が強く求められ、論理性やその正当性のみが重視される。
「私は強くこう思っている」という主張だけでは足らず、論理的な説明や資料、客観的なデータが必要とされる。主観的な主張ではまったく通用しない。例えば、2014年にSTAP細胞事件が起こったのは、その再現性が担保されなかったからである。
そう考えると、本書のように歴史的な持論をフィクションとして語る試みはとても面白いと思った。小説なので論理や再現性も必要ない。小説は娯楽として捉えられることが多いが、「もしもこうだったら」という空想や仮定を自由自在に著述することができる方法の一つでもある。神道とユダヤの関係性に加えて、小説の「可能性」も垣間見た。
歴史のもどかしさは、真実がハッキリとわからないことであるが、歴史の面白さも真実がハッキリとわからないことにある。実際に失われた十支族が日本に来ていたのかどうか、もはや知ることはできない。だが、そこには「こうだったのではないか」という物語を語り、それを楽しむ余地が存在する。
日本の中には失われた十支族の末裔がいるのかもしれない。そう感じざるを得なかった。
【出典】
伊勢谷 武『アマテラスの暗号』(2020)廣済堂出版