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意識下と無意識下の二つのリアリティ
何かに傷ついたとき、母親がハグしてくれることによって癒されることがありますね。もしそれが夢の中の出来事であっても、癒しは起こりますね。母親に、現実にハグされても、夢の中でハグされても、いずれも癒しは起こる。すなわち、夢の中のことも、主観的にはとてもリアルなものなのですね。むしろ、現実のものよりも夢の中のものの方が、よりリアルであることもある。ミンデルは、この二つのリアリティをたいせつにします。
マズローの欲求説に基づいて将来を考える場合には、その欲求は意識下にあるものを対象にするでしょう。また、アドラーの目的論に基づいて考える場合にも、その目的は主に意識下にあるものが対象になるでしょう。
しかし、この先生きて行く環境はどんどん変化していきます。政治的に見ても、戦後の世界的な秩序は壊れつつあります。技術的に見れば、人工知能やロボットの発達は経営環境を、そして労働環境を、大きく変化させます。人口構成の変化は、社会福祉のあり方を根本的に変えるエネルギーを持っています。このような大きな変化を、意識できるものごとだけを資源にして、生き抜くことは難しいのではないでしょうか。
自身の無意識の中にあるリアリティあるものごとを資源として引き出し、より柔軟に、より創造的に、人生をデザインすることが好ましくなる、更には、必須なことになるのではないかという気がします。
画像は、Wikipedia 「無意識」